しかもこの試合で中田は左目の上をカットしている。第2クォーターの残り7分49秒、デンソーの本川紗奈生のドライブを止めにいったとき、本川の右肘が中田の顔に当たったのである。
「あのときは自分でもびっくりするほど集中していて、ちょっと痛いと思うくらいで、動揺することなく、落ち着いていられましたね」
中田のディフェンスでマイボールにしたENEOSが中村優花の得点で戻ってきたとき、中田が汗だと思って拭った手に血がついた。中田はすぐにレフェリーにそのことを告げ、試合を止めてから、自らの足でロッカーに戻っている。そして4分後にはまたコートに復帰。止血をして、その上をバンテージでぐるぐる巻きにした状態で、である。
表面だけで人を判断することはできない。しかし中田は、どちらかといえば「根性」といった力強いフレーズから遠いところにあるような選手に見える。もちろんWリーグを戦い、女子日本代表にも名を連ねたことのある選手である。負けず嫌いな性分は持っているはずだが、少なくとも渡嘉敷や髙田のような、ある種の「野性味」や「闘争心」を表に出すタイプではない。それは本人も認めるところだ。
しかし皇后杯の準決勝、彼女は切れやすいとされる目の上をカットしながらもなお、怯むことなく、コートに戻ってきた。その時点で8得点だったことを考えると、残りの12得点はケガをした後に積み上げたことになる。
試合後、ENEOSのOGであり、彼女を早稲田大学へと誘った萩原美樹子から、ENEOSのマネージャー、山﨑舞子にこんなメールが入ったと言う。
「高校生のときにあんなことがあったのに、今日の試合ではあんなに流血しても、頑張ってすぐに戻ってきて、コートに立ったから、成長したと思ったよ」
萩原の言う「あんなこと」とは、中田が明星学園高校3年になる直前の春休み、早稲田大学と練習試合をおこなったときのことだ。当時、早稲田大学の女子バスケット部を率いていた萩原とすれば、大学進学を志望する中田を獲得したいという思惑もあったのだろう。その試合で中田は早稲田大学の選手と接触し、歯を折っている。
「しかもポキッと折れたのではなくて、半分折れて、くっついたままだったんです。立ったまま、口を閉じれもしないし、大号泣して、審判がゲームを止める前に、ひとりでそのままゴール下の裏の方でずっとうずくまっていました。『もう早稲田には行きたくない』ってずっと言っていたくらいなんです」
その光景を目の当たりにしていた萩原からすれば、歯が折れて大号泣していた子が、目の上をカットしてもコートに戻ってきて、戦う姿に感動を覚えたのだろう。
ちなみにいえば、歯が折れた約2年後、中田は大学1年生の皇后杯でも鼻を骨折している。「もう血の海でした。自分でもびっくりしました。ヘアバンドをつけていたんですけど、それも全部真っ赤で、ああ、これで終わるんだって(笑)。それくらいやばかったです。両方から鼻血が出て、試合が中断されて、担架で運ばれました」
自嘲気味に「顔のケガが多いんです」と笑う中田が、慣れなのか、それとも「三度目の正直」で意地を見せたのか。見た目からはわからない、内なる「根性」、「野性味」、「闘争心」を垣間見せたとき、チームは8連覇という偉業をなし、彼女自身も今後に向けた大きなステップを踏むことができたのである。
苦境が導いた覚醒のとき(中編)
『自らを貫くことで、開かれる道がある。』へ続く
文 三上太
写真 W LEAGUE