ただ高校時代の「好き勝手」ではWリーグから先で通用しない。高校時代に日本代表メンバーとして東アジア競技大会に出場した吉田でさえ、JX-ENEOSに入って、高校生のままでは100%通用しないことを十分にわきまえていた。
一方で、新人だし、何年後かにゲームに出られるようになれば、などと悠長に構えられる性格でもない。自信だって少なからずある。どうすれば試合に出られるのか。どうしたら内海ヘッドコーチ(当時)に使ってもらえるのか。そうした渇望が吉田のなかに眠っていた“考える力”を呼び覚ましていく。
「試合に出るためには何かひとつ、他人とは違う武器を持たなければいけない。そう考えたときに、私の武器はディフェンスだったから必死にディフェンスをしたんです。どうやったら相手のシューターにシュートを打たせないよう守れるかな。どうやったらスクリーンを抜けられるかな。そこから考えるようになったわけですね。当時は2番をやっていたから、ゲームメークは任せて徹底してディフェンスをやって、徹底して走る。それさえできていれば試合には出してもらえていたから、まずは相手のポイントゲッターをどうすれば抑えられるかを考えて、こうやったらいいかな、これはダメだったから今度はこうしてみようとか、自分なりの答えを出していくようにしたんです」
ここでもやはり吉田は試行錯誤を繰り返している。とにかくやってみる。うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。うまくいかなければ、違う方法でやってみる。それを繰り返して、“吉田亜沙美”としての解答を紡ぎ出していくわけである。
「だからポイントゲッターにつくときはいつもワクワクしていましたよね。不安なんてなかった。もう楽しみでしかなくて、どうすればその選手を苦しめられるんだろうかを考えて、ついている選手が嫌がるようなそぶりを見せたら、もっとやってやろうっていう気にもなっていたから、いつも試合前はワクワクしていましたよね」
こうしたメンタリティこそが、のちに世界の強豪と対戦してもけっして引かない、むしろ、前のめりになって“戦う”吉田を形成しているのだ。
part4「引退、復帰、そして日本代表への再挑戦」に続く
文 三上太
写真 安井麻実