part2「チームに貢献することが幸せであり、バスケの楽しさを実感」より続く
「NEW SELF」新しい自分を追い求めて
バスケはスピーディーな展開の中で状況を判断し、瞬時に決断していかなければならない。人数合わせで誘われたときから、幸いなことにオコエ桃仁花のバスケ人生は道が敷かれていた。しかし、オリンピックを目標に定めた瞬間、その道が幾重にも広がっていった。自ら選択し、決断しなければその目標に到達できない。はじめて自分の意志で選んだ道を突き進む。
── 今回、移籍に向けて自ら決断したわけですが、バスケをはじめたときも自分の意志だったのでしょうか?
小学6年生の終わりぐらいに「地区大会に出るのに人数が足りないから出て」と言われ、大会に出場したらMVPをもらいました。その後も続けないかと誘われましたが、そのときはイヤと断りました。しかし、なぜかそのまま入っていました(笑)
── いきなりMVP獲得はすごいですね。その自信もあって中学バスケは自らの意志でしたか?
う〜ん、ただ流れで続けていましたね(笑)
── そこから強豪の明星学園に行くわけですが、そのきっかけは?
中学は家から近いという理由で東村山六中に通っていましたが、中3のときに全国大会に出場できました。そのときにはじめてステファニー選手や栗林(未和/富士通)選手を見てすごい選手がいることを知り、ジャージやバッシュをみんなで揃えていたり、ウォームアップからしっかりやっていて、全国大会ってこんなところなんだという衝撃をうけました。私たちは中学の普通のジャージで行っていたので、そのギャップも大きかったです。全国のレベルの中でも、もっと強いチームでやりたいと全国大会に出たからこそ思うようになり、明星学園から声をかけていただき、進路を決めました。
── その後、U17日本代表に選出され、世界を知るわけですが当時はどんな感じでしたか?
U16の合宿にはじめて呼ばれたときは、まわりのレベルの高さに対する衝撃がすごすぎてパスをするだけで精一杯でした。自分が下手だということは分かっています。だからこそ、やらなければいけないことも分かっています。それは今も同じで、日本代表合宿に呼ばれる度に一番経験がないことも自覚し、夢中でやってきました。経験値はまだ少なく、若いですが、それでもその中で踏ん張ってがんばっていけば道は拓けると思っています。今が踏ん張り時です。
── アジアカップ4連覇したメンバーの中には同期の赤穂ひまわり選手(デンソーアイリス)がおり、先発で活躍しました。
ひまわり選手とは高校生のときからずっと戦ってきたり、アンダーカテゴリーでは一緒にプレーしてきていましたが、あの上手さはすごいです。日本代表のスタメンを勝ち獲っているので、私も負けていられないなという思いはあります。