高校から来日し、岐阜女子高校に入学。その大きさで存在感を示すが、王自身は中国とは異なるバスケに戸惑いもあった。
「中国も走りますが、瞬間的な切り返しが日本の方がもっと速い。イメージしてコートに入っても、それ以上の速さなので体が言うことを聞かずに驚きました」
走ることが嫌いという理由で最初は断った王だが、バスケをはじめてからは走ってばかり。中学時の「朝練では毎日走るメニューが中心でスリーメンが多かったです」。岐阜女子高校でも、日本の速いバスケについていくためには走らなければ始まらない。その後、トランジションバスケをベースにする白鷗大学では、さらに「走ることばかりでした」。
中学からはじめたバスケ人生だが、振り返れば白鷗大学の練習が「一番きつかった」と顔をしかめる。
「週3回、練習後にコンディショニングランというのがあるのですが、これが一番きつい。それがある日は決まっているので、その日は練習で全てを出し切ることができません。そのことを4年生のとき、引退する2日前にコーチに伝えました。後輩たちのことを思って『もうやめた方がいいです』と提案したつもりでしたが、後輩たちは『ワンさん、あと2日なのにガマンできなかったの』って言われちゃいました(笑)」
きつい練習や苦手だった走ることに耐え、技術と体を作り上げた学生時代のおかげで、三菱電機コアラーズの一員として迎えられる。
part2に続く【プラス思考でたどり着いたファイナルの舞台】
文 バスケットボールスピリッツ編集部
写真 吉田宗彦
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