3年生、4年生になると、これまで勝てなかったチームに少しずつ勝てるようになってきたが、そうなればこその新しい悩みも生まれてくる。
「どうしたら後輩たちがついてきてくれるかという、今まで考えてこなかった悩みが出てきました。昭和学院だったら鈴木親光先生を軸とした厳しさの中にチームがあったので、そこに全員がついていくという感じだったんですけど、大学になると選手個々に自由が増える分、いろんなところを見てしまう子がいて、そういう子をどう引っ張ってあげるかにすごく悩みました」
専修大学の1日の練習は2時間半程度。それ以外は授業の合間など空いている時間を使って、それぞれがワークアウトをおこない、コンディションやスキルを磨いていくしかない。文字どおりの「自主」練習である。そうした自主・自立がそれまでとは比べものにならないほど求められる大学にあって、その意識をいかに導き出すか。超がつくほどの強豪高校にいた選手ばかりなら、それもたやすいのかもしれない。いや、だからこそ、その反動で大学では羽を伸ばそうと考える選手もいるかもしれないし、そうでない高校から進学してきた選手であれば何をどうすればいいかさえわからない。しかも“東京”というさまざまな刺激に事欠かない街である。若い女の子からすれば、つい目が外に向くこともあるだろう。それをいかにバスケットへと向けるか。
渡部は言う。
「自分は同期にすごく恵まれたなと思っているんです。千葉(歩・新潟アルビレックスBBラビッツ)を筆頭に岡部(真季)や飯岡(花玲)、清田(陽香)たちが“チームのために”という考えを持ってくれていたので、まとまることができました」
その結果、大学最後のインカレでは5位入賞を果たしている。
そのころを振り返る渡部の表情が少しだけ曇ったように見えたため、あまり思い出したくないことなのかと尋ねると、そうではないという。
「いや、大学は本当に楽しかったという思い出があります。いろいろあったんですよ……いろいろな問題もあって、そういうのを考えると下を向きがちだけど、そういうのもいい人生経験というか、勉強になったので、そういうのはよかったなと思います」
大学での「4年間はけっして無駄ではなかった」と渡部は言う。バスケットを中心に置きながらも、アルバイトとして体育の授業を手伝ったときに出会った一般学生とは今も連絡を取り合っている。実際に彼女たちは大学の試合を応援にも来てくれた。そうしたつながりは大学4年間を学生として懸命に過ごしてきたからこそ生まれるものだ。
さまざまな問題にぶつかりながらも、同級生とともにそれを乗り越え、人としての幅を広げた4年間――プレーもさることながら、そうした魅力ある人間力を携えて、渡部友里奈はWリーグという新しい舞台にチャレンジしていくわけだ。
part3へ続く
【一生懸命、楽しんだ先に結果はある】
文 三上太
写真 吉田宗彦