「最初は『OK、OK』しか言わないです(笑)」(大神)
── 大神さんは英語の勉強をどうしていたの?
大神 2008年にアメリカに行ったときは英会話というか、英語のご挨拶程度でした(笑)。向こうに行って、言葉に壁にぶち当たりまして、スラングなどを使うロッカールームの会話が全然わからなかったです。
萩原 まったくわからないよね。
大神 超速くて、これはヤバいと思って、帰国してから、英会話スクールに通ったんです。でもそのスクールはビジネス英語が中心なんです。すごくレベルが高いなと思って決めたんですけど、ビジネスに使うわけでもないしと思って……でもそういうきっかけで英会話スクールに通って、そこからずっと英語をやるようになったら、JX-ENEOSにトム・ウィスマンがアソシエイツコーチで来たり、トヨタ自動車ではドナルド・ベックやジェームス・ダンカンが来て……日本でも英語で話せる環境ができた分、2008年と比べても、今は問題なく一人でアメリカに行けるようになりました。
── 大神さんがすごいのは、日本でも英語をやり続けたこと。WNBAでカットされたあとも続けていました。そのモチベーションは何でしょう?
大神 うーん、なんだろう……2008年以降、3回トライアウトを受けた頃ですよね?
萩原 やっぱり必要だと思ったんじゃないの?
大神 そうだと思います。
萩原 じゃないと続かないもん。
大神 本当にあのとき言葉の壁もそうだけど、環境だとか、正直な話、ホームシック……とは言いたくないけど、孤独感にすごく襲われて、日本から来てくださった方々が神でした。日本語が話せるので。実はあのときくらいから両親をすごく大切にするようになりました(笑)。
萩原 ハハハ。
大神 正直、そこからなんです。
萩原 日本からお客さんが来るとメッチャしゃべるよね?
大神 そうですね。
萩原 バーっとしゃべる。
── 萩原さんはどうしていたんですか? 英語はしゃべれたんですか?
萩原 しゃべれないですよ。一緒ですよ、一緒。わからないから、何とかなると思って行くんですよ。でもなんともならないんだよね。
大神 そう。
萩原 行っちゃえば何とかなるのは旅行です。向こうで生活をする、ましてや私たちはコートの中で、たとえば「今のスクリーン、ちょっと遅いから、もう少し速いタイミングで、この角度でかけて」って英語で言えなきゃダメなんです。言えなければ「できない選手」と見なされてしまうから。英語ができないことで自分のポジションもどんどん失われてしまうということがわかって、でもできない。私は自分のなけなしの高校受験英語を駆使して「通訳をつけてくれ」ってチームにお願いしました。でも通訳もコートの中までは入ってこられないから、そこはハンデがあるなとすごく思いました。なんとかなるとよく言われるけど、実際にはなんとかなんて絶対にならない。
大神 私も最初だけ通訳をつけていました。最初のトレーニングキャンプに入れてもらう前のトライアウトからだったので、キャンプの1か月前くらいに行って、時差ボケを解消しながら、コーリー(・ゲインズ)のワークアウトなどを受けて、「いいんじゃない?」って言われて、トレーニングキャンプに入れてもらいました。そこからライバル選手と競り合って、最後にその選手がニューヨークにトレードされて、自分は1シーズン、フェニックスで戦うことができたんです。通訳はシーズンを通していなかったので、まぁ、会話がわかんなかったですね。