── では共同石油から声がかからなければ山形大学に行っていた可能性も……
萩原 あります、あります。最初に声をかけてくださったので。
大神 へぇ、すごーい。知らなかった。(その父は)今日、元気にゴルフに行っていますよ(笑)。
「あれでディフェンスの大切さを認識した」(大神)
── その後、2人が直接的に絡むようになったのはいつくらいですか? 大神選手がジャパンエナジーに入社したとき、萩原さんはすでに引退しています。
大神 私がジャパンエナジーに入って3年目くらいかな、女子日本代表のヘッドコーチが北原(憲彦)さんから内海(知秀)さんに代わったときにオーさんがアシスタントコーチに就任されたんです。そのときの強化合宿で毎朝オーさんと、ホテル前の駐車場で「ジグザグディフェンス」をやったことは忘れないです。
萩原 そうそうそう(笑)。
大神 コインパーキングなんですけど、朝だと駐車場に車が停まっていないので、そこでジグザグ……「(大事なのは)ディフェンスなんだよ」って教わって、バスケットはディフェンスが大事なんだって認識したのはそのときの経験が一番大きいです。
萩原 当時のジャパンエナジーは遠征先でホテルに泊まると、必ず朝食前に朝練をしていたんです。体操をしたり、走ったり。たとえば東京で試合があるときはまず朝、皇居の周りを走るわけです。そうした伝統みたいなものがあって、ベテランは免除されることもあったけど、当時のシンは間違いなく“ドペーペー”だったから……
大神 確かに“ドペーペー”でした(笑)。
萩原 だから若手の選手を起こして、駐車場で朝練をするわけです。私のなかでシン(大神さんのコートネーム)はオフェンスが大好きで、いろんなことをやっていたんだけど、ディフェンスはあまりできないかなという印象があったんですね。しかもジャパンエナジーの同期で、当時のアシスタントコーチをしていた中野(明美)とは仲も良かったので「大神の課題はやっぱりディフェンスだよね」という話をして、ホント、毎朝ボール無しのジグザグディフェンスをやっていたよね?
大神 はい。オーさんにつきあってもらっていました。ちょうど朝練をする若手選手が3人だったこともあり、オーさんが私のパートナーになって、ジグザグをひたすらやってくれました。チーム練習で「4対4のシェルディフェンス」をするときも一人余っていたら自分が入っていくようにしていたし、あのときディフェンスの意識が植え付けられたのは、その後の自分にとっても大きかったですね。
特別対談延長戦
【全文掲載】女子バスケットのレジェンド初対談! 大神雄子×萩原美樹子の「女子バスケ温故知新」
② WNBA〜道を切り拓いた2人
文・三上太 写真・安井麻実