「出だしで(相手の攻めに対し)ディフェンスをうかがってしまった。2クォーターからはアグレッシブさが出たんですが、やっぱり出だしの重さが悔やまれます」(小林・前村かおり監督)
1クォーターは13-21。結局その8点差がそのまま勝敗を分けることとなった(75-83)。だが、敗戦の中にも明るい材料はあったと前村監督。「選手たちは最後まであきらめずよく食らいついてくれたと思います。特に今年は上級生の相次ぐケガで1年生を使わざる得ない状況になったのですが、その1年生たちがいい経験を積んでくれました」
メインガードとして32分半コートに立ったフェスターガード・ヤヤ・アマンドラはウインターカップ予選2週間前に大役を任され県予選を戦ってきた。「初めてのウインターカップということで、少しあわててしまうところがありました」と、本人は5つのターンオーバーを悔やんだが、それでも13得点、10リバウンドをマークした積極的なプレーには立派な合格点が付けられるだろう。
デンマーク出身の父とアフリカ出身の母の間に生まれ日本で育った。鹿児島県の中学に通っていたが、昨年のウインターカップ予選で小林の試合を見て「この高校に行きたい」と思ったという。「その試合で小林は負けていたんですが、逆転勝ちしたんです。最後まであきらめないところがすごいなあと思いました」。バスケットを始めたのは小学4年生のとき。「アメリカの‟ハイスクールミュージカル„というテレビ番組でバスケットを見てかっこいいなあと思った」のがきっかけだ。
NBA も大好きで「アレン・アイバーソンにあこがれます」と、笑う。ステファン・カリーじゃなくて、16歳でアイバーソン?「はい、今もビデオで見てるし、1番好きな選手です」。そんなアイバーソンを目指して、得意なドライブや3ポイントシュートの精度を上げることがこれからの課題。さらには「合わせのキックアウトもそうですが、ミスを少なくして安定したプレーができるようになりたいです」。
初めての全国の舞台は「高さが違うな」と感じた。でも、その中で自分のプレーが通用した手応えもあった。「ちゃんとチームをまとめて、ディフェンスもオフェンスも攻めていけるようなガードを目指します。それで来年もまたここに戻って来たいです」
「来年もまたここに戻って来たいです」という思いはもちろん前村監督も同じだ。自身が小林高校のOGであり、在籍した3年間は連続してウインターカップ出場を果たした。その後筑波大でプレーし、そのまま大学院に進むとアシスタントコーチとしてベンチに入り、3年後、母校の指導者となった。「父は教師で、中学のバスケット部では監督の父から指導を受けました。こうやって子どもを教え、育てていく仕事に就きたいなあという気持ちはそのころから芽生えていたように思います」。弟の雄大は栃木ブレックスでプレーする現役選手。「言わばバスケットファミリーなんですよね(笑)」
練習中は『鬼』となるらしいが、ひとたびコートを離れれば、選手たちから姉のように慕われる。「コートの外ではみんな本当に可愛い妹です。全員が寮生活なので年に数回は家に招いてみんなでご飯を食べるのも楽しみの1つ。コミュニケーションを大切にしてファミリーみたいなチームを作っていけたらと思っています」
ウインターカップは9年連続の出場を誇るが、県予選では194cmのセンターを擁する延岡学院戦で苦しんだ。長身選手のケガによりチーム作りの計画も大幅に変更せざる得なくなった今年は試行錯誤の時間も長かった。が、マイナスの中にも必ずプラスはあるというのが持論だ。「チームが小さくなった分、機動力は増しました。経験値が高い上級生を欠いた分、下級生が経験を積めました。今ある戦力でいかに戦えるチームを作っていくか、それが自分の仕事でもあります」
ここしばらく上位進出が叶わないウインターカップで階段を上ることが今後の目標。「今年はインターハイに出られなくてめちゃめちゃ悔しかったんです。だから冬に懸ける思いも強かった。ここは1年の集大成となる最大の頂上決戦の舞台です。ヤヤ(フェスタ―ガード)を始め伸び盛りの下級生たちと、来年に向けて小林らしいチームを作って行きたい。また新たな1年に向けて頑張ります」
ウインターカップの初日は終わったばかり。小林の冬も終わったばかり。だが、終わりは始まり。前村監督が目指すバスケットはまたここからスタートを切る。
文・写真 松原貴実