2018年3月8日、アトランティック10トーナメント2回戦でセントルイス大学に63-70で敗れ、ジョージ・ワシントン大学で4年間を全うした渡邊雄太選手のNCAAでの挑戦は幕が下りた。
目標としてきたNCAAトーナメント(全米大学選手権)出場は終ぞ果たせず、ラストゲームは途中で足を捻挫し最後まで戦うことすらできなかった。本人にとっては辛く、悔しい思いもあっただろう。応援してきた我々にとっても、切ない幕引きであった。だが、バスケの本場アメリカでも通用することを証明した渡邊選手の功績は、多くの日本人に希望と感動を与えてくれた。
『夢は当然、NBAでプレーしたい!』その灯を頼りに切り拓く
尽誠高校2年のとき、当時のトーマス・ウィスマンヘッドコーチ(現横浜ビー・コルセアーズ アドバイザー)に見出され、日本代表候補として脚光を浴びる。ウインターカップでは2年と3年のときに決勝へ進出。しかし、ベンドラメ礼生選手(サンロッカーズ渋谷)やジュフ・バンバ選手(川崎ブレイブサンダース)を擁する延岡学園に敗れ、2年連続準優勝だった。
日本代表に選出されたことをきっかけに、アメリカでバスケをする思いを描く。両親をはじめとした方々のサポートを受けながら、その道をたぐり寄せる。2013年秋、日本代表としてアジア選手権に出場したあと、渡邊選手はアメリカへ渡った。
先が見えない異国の地であり、バスケの本場で這い上がるためには絶対的な道標が必要である。
「夢は当然、NBAでプレーしたい!」
英語とバスケを習得しながら大学へ進む準備をするため、プレップスクール(専門的な予備校のようなもの)のセント・トーマス・モア・スクールに入学。1年間の助走期間で順応しながら頭角を現していく。プレップスクールの全国大会であるナショナルトーナメントへ出場し、決勝まで勝ち上がる。だが、ウインターカップから数えて3年連続優勝には届かず、ここでも銀メダルだった。一方で渡邊選手自身の活躍は評価され、”ファーストチーム”(ベスト5)に選出される。いくつかのNCAAディビジョン1チームからオファーが届き、その中からジョージ・ワシントン大学を選択。その年、1回戦で敗れはしたがNCAAトーナメントに出場し、将来性あるチームへ奨学生として迎えられた。
NCAAトーナメント出場は叶わなかったが、2度の優勝を経験
準優勝続きだった渡邊選手だが、ジョージ・ワシントン大学に入った途端、いきなり頂点に立つ幸運が待っていた。2014年、クリスマス時期にハワイで行われたダイヤモンドヘッド・クラシックに出場。決勝で当時ランキング11位(※新聞社等がトップ25位までランキングをつける指標のようなもの。FIBAランキングと同じような役割)のウィチタ州立大学と対戦。ランク外だったジョージ・ワシントン大学は追いかける展開だったが、ルーキーの渡邊選手がチームを救う。残り3分33秒、左45度から放った3Pシュートを見事に決め、54-52と逆転。一気に流れを引き寄せたジョージ・ワシントン大学はそのまま勝利し、渡邊選手にとっては初の優勝経験を勝ち獲った。
翌2年次もNCAAトーナメントへの出場機会は得られなかったが、その戦いに漏れたトップチームが招待されるNIT(ナショナル・インビテーション・トーナメント)に出場。「ハッキリ言って、NCAAトーナメントに出場できなかった時点でチームとしてそこまでモチベーションはなかった」というのが後日談。その鬱憤を晴らすように、5連勝したジョージ・ワシントン大学はNITを制し、優勝を飾った。
後のアルゼンチン代表のパトリシオ・ガリーノ選手(スペイン/サスキ・バスコニア)やケビン・ラーソン選手(デンマーク/HORSENS IC)、そしてMVPを受賞した現アトランタホークスのタイラー・カバナー選手がおり、NCAAトーナメント出場は確実だと思われていた。それだけにNIT優勝よりも、NCAAトーナメントに行けなかった悔しさの方が強いシーズンでもあった。
3年生になる2016年夏、ジョージ・ワシントン大学はジャパンツアーを敢行。凱旋試合は日本代表を相手に3連勝を飾った。初めてNCAAを目の当たりにするファンにとっては、日本代表が大学生に負けるなんて…と悲壮感漂う状況だった。だが、NBAの予備軍でもあるNCAAディビジョン1を倒すのは、簡単な話ではない。逆に、その中においてエースとして活躍する渡邊選手のインパクトだけが鮮明に残る試合となった。
3シーズン目はカンファレンス6位でアトランティック10トーナメントに臨む。しかし、準々決勝で3位のリッチモンド大学に3点及ばず67-70で敗れる。NCAAトーナメント出場の目標を叶えるチャンスも、あと1回しかない。
4年目は選手がガラリと入れ替わり、4年間全うしたのは渡邊選手しかおらず、経験不足は否めない。これまで同様、同カンファレンスとの対戦は思うように勝てず、大きく順位を落とし11位。アトランティック10トーナメントも1回戦からの戦いを強いられ、結果は冒頭で紹介したとおりである。
NCAAトーナメント出場は叶わなかった。だが、一人の選手としてはホーム最終戦となったフォーダム大学戦でキャリアハイとなる31点を挙げる。さらに相手のエースを抑え、前線から攻撃の芽を摘むディフェンスが評価され、”ディフェンス・プレーヤー・オブ・ジ・イヤー”を初受賞(ちなみにハッサン・マーティン選手(琉球ゴールデンキングス)は2年連続受賞)。チームハイの平均16.3点を挙げ、NCAAディビジョン1チームのエースとしてコート上でしっかり表現できた素晴らしい4年間だった。
努力なくしてこの活躍もない!成績をクリアしなければバスケができない鉄の掟
両親ともトップリーグで活躍され、姉も同じ道に進んだバスケ一家に育った渡邊選手。確かな血統で今は206cmまで身長が伸びた。その一方で、線の細さは弱点でもある。
アメリカで成功するわけがないと、嫉妬の声を耳にすることもあっただろう。それを跳ね返すこれまでの活躍に対し、今度は体格的に恵まれているからだと容易な答えで片付けられては困る。
NCAAでプレーするにはコート上でのパフォーマンスは当然だが、それ以上に勉強での成績も基準点をクリアしなければ練習に参加できない鉄の掟がある。そこが日本との大きな違いでもある。3年次から日本語クラスを専攻。母国語ならば苦労しないという思惑もあったが、そう簡単にはいかなかった。他の生徒は日本語で答える中、渡邊選手には英語で回答しなければならない課題が課された。コート上でも授業でも、幾重にも立ちふさがる壁から逃げず、努力して乗り越えてきたからこそ今がある。
ナイトゲームの日以外、夜のフリータイムのほとんどをホームアリーナのスミスセンターで過ごしてきた。一人で、またはチームメイトとともにシューティングや課題克服のための自主練習に励む。昨シーズン、その仲間はカバナー選手だった。努力の先にNBAがあることをチームメイトから実感できた。
プレップスクールから5年間、アメリカでの学生バスケは終わってしまった。渡邊選手の成長と活躍をネット中継や実際に現地で観戦しながら、その夢と希望を疑似体験させてもらったことに感謝している。渡米し、一歩踏み出したときが『ホップ』であり、それをしっかり『ステップ』につなげることはできた5年間だった。ここからNBAやオリンピック出場というさらに高い目標に向かっていく『ジャンプ』のときを迎える。
日本バスケ界の希望の光はますます輝き、どんどん遠い存在になっていくことだろう。NBA選手になればこれまで以上にテレビでも取り上げられ、逆に身近に感じられるようにもなる。日本を驚かせる瞬間までのカウントダウンがはじまった。
自分の本当の戦いはこれからだと思っています。自分の目標はNBAです。無理だと言う人もきっとたくさんいるでしょう。口で言うほど簡単な事でないのは、大学ですごい選手を相手にしてきた自分が一番理解しています。だからこそ自分はそこにとことん挑戦していきます。
— Yuta Watanabe 渡邊 雄太 (@wacchi1013) 2018年3月12日
2年連続マーチマッドネスに挑む八村塁への期待感
さて、今シーズンのアトランティック10トーナメントは、渡邊選手に『怒りの悔し涙』を流させたデヴィッドソン大学が頂点に立った。同カンファレンスからはロードアイランド大学とセントボナベンチャー大学が進み、日本時間明日3月14日より全米を熱狂させる『マーチマッドネス(全米大学選手権)』は開幕する。
2年連続NCAAトーナメントに出場する日本人、ゴンザガ大学の八村塁選手。シックスマンとして平均20分間出場し、11.3点を記録。昨シーズンの準優勝チームにいながら、しっかりと自分の居場所を勝ち獲った今シーズンは大いに期待が持てる。
渡邊選手の挑戦は終わってしまったが、NCAAはこれからが本当の戦いであり、やっぱりワクワクしてしまう。
ジョージ・ワシントン大学
ジョージ・ワシントン大学/渡邊雄太ページ(協力:杉浦大介氏)
NCAA マーチマッドネス
文・写真 泉 誠一