そのイチフナが、わずかだけれども、帰ってきた気がした。
チームを率いる斉藤智海コーチはこう認めている。
「当初、チーム作りを始めたときは髙宮がすべてで、そこで勝負するしかなかったんです。そうやってきたけど、能代カップやいろんな経験をさせてもらうなかで、やはり我々はサイズがないので、他の選手にも責任感を持たせながら、チームとしてのプレーの可能性を広げながら、チームを作ってきました。それを見てくれたのであれば、やってきたことは少し出せたのかなと思います」
ただ、と斉藤コーチは言葉をつなげる。
「ただ、その濃度が薄いのでは……可能性を広げたのはいいけど、そこにイチフナが元来持っていた粘り強さや勝負勘、ひたむきさが薄まっていたら意味がないですよね」
広島皆実戦の最終盤には粘り強さも勝負勘も、ひたむきささえも薄まっていたが、そこに至るまでの約37分には、イチフナらしさの素地が見えたような気がする。
むろん、それまでそうならなかった……いや、そうなれなかったのには理由もある。
似たような境遇の高校生は多いのかもしれないが、彼らもまた2年前の入学式のために登校し、「入学おめでとう」と言われた直後に、こう告げられた(直接的ではないが)。
「しばらく、ごきげんよう」
コロナ禍での入学式だったため、楽しみにしていたイチフナライフも、イチフナバスケも実感することなく、数か月を過ごさなければいけなかったのである。
だから「イチフナらしさ」と言われても、どこかピンとこなかったのかもしれない。
斉藤コーチも彼らに「イチフナらしさ」を落とし込めなかったと、今なお悔いている。
それが今、再び動き出そうとしている。
強かった頃を知るファンからすれば、まだまだ当時の足元にも及ばないと思われるかもしれない。
しかし、ベンチを含めた全員で戦う姿勢が見られたことは、まだ “あの” イチフナが死んでいないのだと実感できる。
試合後、斉藤コーチは選手たちにこう言っていた。
「インターハイが終わって、さぁ、これからは本当に負けたら終わりの日々が続いていくよ」
ウインターカップの千葉県予選で負けたら、髙宮も永島も、大澤、佐々木、飯田、すべての3年生が引退をしなければならない。
前半リードしながら、後半の立ち上がりに逆転され、敗れたイチフナの四国インターハイ。
彼らが目を向けるのは、チームで戦い、流れをつかんでいた前半か。
それとも、最後は集中力さえ切らしてしまった後半か。
もし前半の自分たちを信じ、後半の自分たちを悔い改めるのであれば、春とも夏とも違う彼らに、今年の冬、会える気がする。
文・写真 三上太