── まさに忘れられないデビュー戦ですね。
2つ目はソウルオリンピック予選でもあったアジア選手権の3位決定戦です。キャプテンは北原さんで、岡山さん、小野秀二さん、内海知秀さん、池内泰明さん、大学の先輩である瀬戸孝幸さん、永井雅彦さんらがいて、今も最高のチームだったと思っています。それだけに準決勝で負けたときはショックでした。翌朝の練習後、監督だった小浜さんから招集がかかったんですね。最終日だったので会場では表彰台の準備も進んでいたんですが、小浜さんは3位の台を指さして「いいか、おまえたちにはあの台に北原を乗せる責任がある」と言われたんです。北原さんはずっと長い間、代表の中心選手としてゴール下で体を張り続けてきた人です。「あの台に絶対北原さんを乗せてみせる!」と思いました。全力を尽くしてフィリピンを破った瞬間、あのときの気持ちはうまく言葉にできません。ばぁーっと涙があふれてきて、皆で子どもみたいにわぁわぁ泣きました。
── バンコクのアジア選手権のときですね。
そうです。3つ目は時が流れ、私がキャプテンを務めていたアジア選手権です。バルセロナオリンピックの出場権を懸けた大会で、そのときも準決勝で敗れてしまいました。3位決定戦前の選手ミーティングでふと思い出したのは小浜さんのことです。いつもなら若い選手から順番に意気込みを語るんですが、「今日は俺から言う」と立ち上がりました。「俺が日の丸を付けて戦うのは今日が最後だと思う。この最後の大会で銅メダルを取って終わりたい」と言ったんです。一瞬、その場がシーンとなりました。本心を言えば、もちろん銅メダルは取りたかったですが、それよりも自分が最後となる試合で若い選手たちに何かを残したい、彼らに何かをつかんでほしいという気持ちが強かった。そしたら次の瞬間、ベンチメンバーの若いやんちゃな奴らが一斉に立ち上がって「絶対メダルを取るぞぉ!」「リクさんにメダルを取らせるぞぉ!」と叫んでくれたんです。臨んだ試合はチャイニーズタイペイ戦でしたが、最後まで競って、競って、3点差で勝ち切ることができました。忘れられない試合です。
── 陸川さんがNKKでプレーされていたころ日本リーグにも外国籍選手が入ってくるようになりました。当然外国籍選手とのマッチアップも多かったと思いますが。
私はNKKで15年プレーしましたが、最初の7年はうちと住金(住友金属)は外国籍選手を取りませんでした。当時を振り返ると平均ファウル数は4.5というシーズンがあり、2回に1回はファウルアウトしています。外国籍選手とのマッチアップはそれぐらい激しかった。正直、厳しい試合が続きました。NKKが初めて外国籍選手を取ったのは90年。翌年にエリック・マッカーサーが加入し、その年と93年にリーグ優勝をしました。