── 周りから見たら変なヤツだったかもしれませんね(笑)
元気が取り柄でしたから(笑)。2年生からスタートで使ってもらえるようになり、その年のインカレに優勝しました。ラッキーだったのは翌年学生選抜チームに選んでもらえたことです。選抜チームが国際親善大使になってフィリピン、マレーシア、インドネシア、タイ、ビルマ(現ミャンマー)の東南アジア5ヶ国を回るというもので、約1ヶ月かけてそれぞれの国で試合を行いました。私は最初メンバーに選ばれてなかったんですよ。メンバーの1人がケガをして、その代わりに選ばれたんです。監督だった細島さん(故細島繁日本大学監督)が「陸川がいいんじゃないか。あいつは下手だけど元気がある」と言ってくださったと聞きました。元気があったから12番目の選手として連れて行ってもらえたんです。
── 初めて国際ゲームを経験されたわけですね。
そうです。フィリピンのクラブチームと対戦したときは私より大きな黒人選手がいてとても荒いプレーをする。ケガ人も出てしまい、みんなちょっとビビっていました。その場面で「陸川、行け」と言われて、もう夢中でプレーしました。やられたらやり返す。やられたら倍返し。半沢直樹です(笑)。気がついたら後半20点取ってて、試合も勝利。その後スタートメンバーになりました。帰国してしばらくして、フランス、西ドイツ、アメリカのケンタッキー大が参加するキリンワールドカップが開かれたんですが、これに出る日本代表チームに呼んでもらえたんです。
── 学生選抜の12番目の選手から一足飛びで日本代表メンバーですか。
いえ、これもラッキーだったんですよ。将来のために大学生を2人ぐらい参加させようということになったんですが、最初に選ばれた人が教育実習と重なったため私にチャンスが回ってきたんです。学生選抜で1カ月一緒に東南アジアを旅した細島さんが「陸川は下手だけど国際ゲーム向きの選手だ」と推薦してくださったみたいです。
── 半沢直樹が評価された?
はい、下手だけど倍返し!(笑)。気持ちだけは負けないところを見てもらえたんだと思います。ありがたいですね。
part3「1番下手な選手として自分がやるべきことはわかっていた」へ続く
文 松原貴実
写真 吉田宗彦