東京のオアシス・代々木公園にバスケゴールが設置されてから15年が経つ。2003年、ナイキジャパンが2台のゴールを寄贈し、気軽にフルコートでバスケができる環境を与えてくれた。当初は石畳のままだったために段差があり、ボールがイレギュラーしていたのも懐かしい。その2年後の2005年2月、あらたに2台のゴールが寄贈されるとともに、キレイにコートが整備されてできたのが今の形である。時を同じくしてALLDAYなるストリートボールトーナメントがはじまり、毎回出場チームは全国から定数を上回るほど寄せられ、盛り上がりを見せる。今オフにやってきたラッセル・ウェストブルックをはじめ、多くのNBA選手もこの地を訪れている。
ルーツを遡れば、ゴールが設置される前から木場のバスケカフェ「BALL TONGUE」の店主・MUЯが週末にゴロゴロと移動式ゴールを持ち込み、青空バスケを提供していた。賑やかなその人だかりを覗けば、後のプロ選手や昨今のストリートボールシーンを切り拓いていったヤツらが純粋にボールと戯れていた。代々木公園とバスケの縁は深い。
バスケコートの隣には陸上競技場とサッカーグラウンドがある。この広大なDoスポーツエリアに、3万人規模のサッカースタジアムを新たに作る構想がある。すでに実現へ向け、有識者や一般の方々とともにクロストークが行われ、第1回は川淵三郎氏が登壇したニュースを目にした方も多いことだろう。この構想についての詳細は『渋谷未来デザイン』をご覧いただきたい。
さて、このスタジアム構想が実現すれば、必然的にストリートボールの聖地は潰されてしまう。11月1日、第2回クロストークが行われ、ALLDAYのコミッショナーを務める池田二郎(株式会社クロッシング東京 代表取締役)と、ここで育ったストリートボーラー海老原奨/AB(F’SQUAD、元3×3日本代表)が登壇し、この聖地に対する熱い思いを伝える機会となった。
『愛着=帰属意識で育まれたオープンなバスケコート』池田二郎
ALLDAYは日本のストリートボールでトップレベルにあり、多くの観客も集まって盛り上がる憧れの場所です。このイベントのおかげで聖地になったとともに、利用者自身が管理できるようになりました。例えば、ゴミを捨てる人がいればそこでバスケをしている人が注意する文化が根付いています。そうなったのも帰属意識がカギだと思っています。このコートに対する愛着があり、自分の家や庭のような気持ちで使っています。そういう場所はなかなかなく、歴史があることも大きな要因だと思います。
バスケコートのキーワードは『オープン』。金網で囲っていたり、カギがかかっていたり、管理人がいて利用料を取っていてはなかなかその場は生まれづらい。ストリートボールは部活とは全く違うものです。最初は、日本に住む外国人が日曜日に集まってバスケをしていました。彼らがアメリカのストリートボールと同じルールでバスケしていたことで、そこに来た日本人もそのルールに合わせてバスケをし始めたのが受け継がれています。