10シーズン目が幕を閉じた3×3.EXE PREMIER。明暗がくっきりと分かれ、勝った者だけがスポットライトを浴びる厳しい勝負の世界であることは言うまでもないが、優勝したチームにだけストーリーがあるわけではない、それもまた言うまでもないことだ。FUKUYAMA BATS.EXEのオーナー兼選手である河相智志は41歳。これほどの年齢ともなれば、たどってきたその道はストーリーに満ちあふれる。
チーム数が大幅に増えた今も選手のほとんどが大卒である日本の男子バスケット界において、河相は珍しい高卒選手だ。それも、高校を出てすぐにそのキャリアが始まったわけではない。2003年、当時JBLの2部に所属していたさいたまブロンコスがトライアウトを開催することを知り、「こんなチャンスはないから、どこまでいけるのかチャレンジしてみようと、何の伝手もなく飛び込んだ」21歳の河相は、見事に合格。結果的に1シーズンのみで退団するが、河相にとっては貴重な経験だった。
「そのときは新潟アルビレックスというプロチームがあって、プロ化が進んでいってるんだと思って、漠然とはしてたんですが、どこまでできるかやってみたいなって。でも、まさかブロンコスに入れるとは思ってなかったです。入ってみたら、ノンキャリアは僕だけ。周りの人はエリート大学を卒業してる人たちだし、能代工業出身の人もいた。そんな人見たことなかったですよ(笑)。こういう人が近くにいると思って刺激を受けた、そんな1年でしたね」
そこから、河相のキャリアには空白期間が生じる。地元の広島・福山に戻った河相はクラブチームでプレー。bjリーグのトライアウト受験を数年続けるも各クラブの目には留まらず、一旦就職しているが、在籍するクラブチームが目標を全国大会出場に切り替えて力を入れ始め、2010年と2011年にオールジャパン(天皇杯)に出場。3試合全て20得点以上を叩き出したことで好感触を得た河相は、JBL2に新規参入した兵庫(現・神戸)ストークスのトライアウトに合格し、約7年の雌伏の時を経てようやくキャリアの再スタートを切る。
兵庫でも出場機会にはあまり恵まれず、1シーズン限りで退団するが、同じJBL2のデイトリックつくばに移籍すると、ダンテ・ヒルヘッドコーチに認められ、出場機会が大幅増。翌2013-14シーズンは新リーグNBLに参入したつくば(現・茨城)ロボッツと契約し、ついに国内トップリーグに到達した。チームはなかなか勝てなかったが、「30歳手前で本格的にプロになって、2、3年できるかなあと思っていた」という河相は、その3シーズン目で1試合平均得点を2ケタに乗せた。
「どっちかというと自由にやらせてもらってたんで、めっちゃ楽しかったです。対戦相手がすごい有名人ばっかりだったのも楽しかった。当時はとにかく一生懸命でしたね。なんとしても勝てるようにというか、ちょっとでも勝つ確率を上げられるように、毎日必死でした。トップリーグでできるチャンスはなかなかくるものじゃないので本当に練習しましたし、チーム練習以外にもワークアウトをやってもらって、自分に必要なものを手に入れられた期間でした。それがなかったらもっと早く引退してたと思いますし、トップリーグを経験していろんなことを学べたというのが、今もプレーできてる要因の一つだと思います」