そしていよいよ始まった日本戦。
予想されていたとおりに厳しい戦いを強いられたわけだが、スポーツ中継という性質上、打てども打てどもリングを通過しない日本の3ポイントシュートはなにが要因であるかを明らかにすることが、解説者には求められる。
そこにあるのがたった一つの事実であるとは限らず、むしろ様々な要因が複雑に絡み合っていることがほとんどで、しかもその大部分を人間は認知できていないのだとしても、それでも「それっぽい理屈」、「もっともらしい原因」を仮定してみせなけれいけない。
「お、オフェンスのプロセスがですね…」とかなんとか、できるだけ筋の通った仮説を目視できる関係性からの導き出しに四苦八苦する新米解説者は、横で語る牧隼利選手(琉球ゴールデンキングス )の言葉に目線の違いを痛感させられるのであった。
「あれだけ激しく身体をぶつけ続けていたら、疲れていつも通りのシュートが打てなくなると思います」
あぁ…それよな。もうほんとそれ。いや、めっちゃわかる。ていうか自分がそうやったやん。もうボコボコぶつかられて前腕とか神経なくなったんかと思うくらい応答なしやったやん。なんべんもエアボールしたやん。なんで忘れてたんやろ。
現場を生きる人間のまっすぐな直観は、僕に古い記憶を連れてきてはくれたけれど、でも淋しいことに、一緒に実感を連れてきてくれることはなかった。
コートを離れて久しい人間の言葉と感覚に、少なくない距離が生じてしまっていると感じた瞬間だった。
アーカイブ的な情報として、ぶつかる=めっちゃ疲れる、が脳内に焼きついているにもかかわらず、手応えは頼りなく、瞬発力の求められるライブな空間でその引き出しを開けられなかったのだ。
これはもしかしたらあれだな、自分があんまりなりたくはなかったタイプの解説者像にじりじりと近づき始めているのかもしれないな、なんてことをうっすらと思い返しながら、青々とした空とサンゴ礁の海をぼんやりと眺める、帰りの機内でした。
文 石崎巧
写真提供 FIBA.com