AKATSUKI VENUSはバスケットボール日本代表AKATSUKI FIVEオフィシャルチアリーダーズだ。11月24 日に行われたFIBAバスケットボールワールドカップアジア地区第一次予選の対フィリピン戦、2月22日に行われた同対チャイニーズタイペイ戦では、華やかなダンスで会場を盛り上げ、日本チームの背中を後押しした。その中の1人本田景子さんは、国内最高峰のプロチームに所属し数々の舞台で踊り続けてきたベテランチアリーダー。35歳の彼女はVENUSの中の最年長だが、切れのあるダンスは全く年齢を感じさせない。「チアリーダーは第一印象がとても大切。みなさんの前に立つときはとびきりの笑顔と美しいボディコントロールを心がけています」と言う彼女は、この春、日本を飛び出し人生の大きな夢に挑もうとしている。
神奈川県横浜市生まれ。子どものころから体を動かすことが大好きだった。踊ることの楽しさを教えてくれたのは、4歳から15歳まで続けたクラシックバレエ。だが、高校生のときテレビで見たチアリーダーの番組が人生を変える。
「世界の最高峰と言われるアメリカのNFL(ナショナルフットボールリーグ)チアリーダーの番組でした。その中に安田愛さんという日本人女性がいたんです。満面の笑顔とエネルギッシュなダンスを見たとき、ほんとに一瞬で心が奪われてしまったんです。私もチアリーダーになりたい!大学に入ったら絶対チアリーディング部に入る」って決めました。
大学受験の際に訪れた大学の文化祭で見たチアリーダーのパフォーマンスにも心を動かされた。でも、進んだ大学のチアリーディング部は私が想像していたものとはちょっと違うなと感じたんですね。だから、チアリーダーからは少し離れるけど、別のダンスサークルに入り、ダンススクールに通い、まずは自分のダンスの技術を磨くことにしました。踊って、踊って、まさにダンス漬けの毎日。ダンスの中で息をしているような、そんな4年間でしたね」
しかし、ダンスで食べて行くことの難しさ、厳しさはわかっていた。就職活動は怠らず、鉄鋼関係の商社の採用通知も手にする。そして、大学生活の最後を飾るために向かったのはロサンゼルスのダンススクールだった。両親からプレゼントされた短期のダンス留学。スクールの選択も滞在中に住む場所もすべて自分で調べ、自分で決めた。
「そのダンススクールの生徒は国も年齢も経歴もさまざま。その中で自分のレベルの低さ、引出しの少なさを痛感しました。打ちのめされましたね。ガーンと打ちのめされて帰ってきました(笑)。だけど、ダンスを辞めることはまったく考えなかったです。自分のレベルがわかっただけいいじゃん、あとはここから上を目指せばいいじゃんって。会社で貿易事務の仕事をしながらダンスを続けました。心の片隅にはいつも安田愛さんの笑顔があって、チアリーダーになる夢もあきらめていなかったです」
チアリーダーとして最初のオーディションに合格したのは2007年のことだ。富士通のチアリーディング部に所属して、アメリカンフットボールXリーグの富士通フロンティアーズ、バスケットボールWリーグの富士通レッドウェーブ、そしてサッカーJリーグの川崎フロンターレなど異なるスポーツの異なる舞台に立った。2009年にバスケットbjリーグ東京アパッチのダンスチームに入り、会社員一人という厳しい環境の中、日本を代表するトップアーティストTRFのSAMさんの元で活動した。2011年にはbjリーグ横浜ビー・コルセアーズ、2013年から所属した日立サンロッカーズではNBLからBリーグへと時代をまたいで4年間ゲームを盛り上げた。着実に一歩ずつキャリアを積むことで、次第に膨らんでいったのは「いつかNFLの舞台に立ちたい」という夢。いや、それはもう夢ではなく、彼女の中ではっきりと形を成した目標に変わっていた。
「実は2010年にNFLのチアリーダーに挑戦したことがあるんです。サンフランシスコ49ersのトライアウトを受けて、そのときはセミファイナルで落とされました。日本に帰ってバスケットのチアリーダーになったのも自分にはもっと経験が必要だと考えたからです。満員の有明コロシアムで踊ったbjリーグの準決勝、日立サンロッカーガールズを代表して出場したNBLオールスターの華やかなコート、その1つひとつが貴重な経験になりました。でも、平日の昼間は仕事、夜はチアの練習、週末は試合という過密スケジュールに身体が悲鳴を上げるようになったんですね。5年前に発症した腰と首のヘルニアをケアしながら踊ってきたんですが、満身創痍だということは自分でもわかっていました。4年間お世話になり、コンディショニングリーダーとしてメンバーのアピアランス管理指導(体系管理、食事指導)も務めたサンロッカーズを離れたのも、ここで1度休んでしっかり自分の身体と向き合おうと思ったからです。」
だが、それはもちろん、次に向かうためのインターバル。AKATSUKI VENUSのオーディション合格とともに現役復帰を果たすと、それを機にアメリカに渡って『NFLのトライアウトを受ける』という大きな決断を下した。13年間勤めた会社を退職し、自ら退路を断った上での挑戦だ。最初は引きとめていた職場の上司も彼女の並々ならぬ決心に、最後は笑顔でこう言ってくれたという。「わかった。君の一度きりの人生だ。思いっきり頑張ってこい!」
「35歳になって、なんで今からNFLに挑戦するの?と思う人、きっといっぱいいるでしょうね(笑)。でも、35歳の今だから、挑戦しようと決心したんです。朝と夜はプロテインを飲み、糖質は控え、高タンパク低カロリーの食事で健康と体重維持を心がけ、ジムに通い、整体に通い、いつも自分の身体と対話しながら暮らしていますが、それでも20歳のときの体力に戻れるわけではありません。だけど、私には代わりに手に入れた経験やスキルがあります。何よりダンスが好きだという気持ちは20歳のときの自分より今の方が大きいかもしれない。だったらあきらめるわけにはいかないじゃないですか。挑戦するしかないでしょう?」
NFLのチアリーダーは『心身ともに優れ、知的かつ自立心を持ち合わせた女性』を理想に掲げ、ダンス能力などのパフォーマンスだけではなく、マナーや言葉遣いまで徹底した指導を受ける。それが「現代女性のローモデル(社会の見本)」とまで言われ、多くの人にリスペクトされる所以だろう。日本ではチアリーダーに支給されるギャランティは極めて低く、中には交通費のみというチームも珍しくないが、NFLのチアリーダーの報酬もまた決して多いとは言えない。それでもオーディションには世界中から大勢のダンサーが集まり、倍率は毎年10倍超。前年度のメンバーも全員オーディションを受け直すため、ルーキーにとってはさらに厳しく狭き門となる。加えて渡航費、滞在費、トライアウトを受けるための費用など金銭面の準備も必要だ。
「全て覚悟の上です。日本人チアリーダーにとっては高いレベルのダンスだけではなく、言葉や文化といった乗り越えなくてはならない壁があります。それを考えるとかなりプレッシャーを感じますよ。今からもうドキドキしてます(笑)」
愚問だとは知りつつ、そんな彼女に最後の質問をしてみた。――そこまでして、あなたはどうしてNFLのチアリーダーを目指すのですか?返ってきたのは明快なひとこと。
「チアとダンスが大好きだからです。世界最高峰の舞台で踊りたいからです」
NFLのチアリーダーになりたいという夢が芽生えたときから、困難にもくじけることなく、たゆまぬ努力を続け、どんなときも前を向いて自分の足で歩いてきた。「35歳でもあきらめなければ夢は叶うんだと証明できたらいいなと思います。少なくとも私の挑戦がだれかの勇気になれば嬉しいです」――本田さんが渡米するのは4月。顔を上げ、まっすぐに夢に向かう人の挑戦を応援せずにはいられない。
チアリーダー本田景子さんの経歴
2007年度:富士通チアリーダー(Xリーグ富士通フロンティアーズ、Wリーグ富士通レッドウェーブ、Jリーグ川崎フロンターレ応援)
2007年度:アメリカンフットボールワールドカップ出演
2008年度:PRO BOWL ハーフタイムショー出演
2010年度:NFLサンフランシスコ49ersトライアウト セミファイナル進出
2009年~2010年度:bjリーグ東京アパッチダンスチーム
2011年~2012年度:bjリーグ横浜ビー・コルセアーズ公式チアリーディングチーム(B-ROSE)
2011年~2012年度:プロフェッショナルチアリーディング協会 オールスタープロチアリーダーズ
2013年~2016年度:NBL日立サンロッカーズ東京チアリーダー(SUNROCKER GIRLS)
2014年度:NBLオールスターゲーム出演
2015年度:天皇杯優勝(優勝に貢献)
2016年~2017年度:Bリーグサンロッカーズ渋谷チアリーダー(SUNROCKER GIRLS)
2017年度:バスケットボール日本代表AKATSUKI FIVEオフィシャルチアリーダーズ (AKATSKI VENUS)
文・松原貴実 写真・安井麻実