1993年にルーキーとして歩み始めたトヨタ自動車(現・アルバルク東京)から数え、24シーズン目を迎えた折茂武彦さん。唯一、日本リーグから様々な名称や形態が変わるリーグを全うしてきた生き証人。90年代は空前絶後のバスケブームが到来し、JBLがプロ化する話も一歩手前まで来ていたが、そのチャンスを逸してしまった。選手には下りてこなかった情報が、クラブ代表となったことで全てが明らかとなる。
代表になって初めて分かったリーグの実態
JBLのプロ化やさらに盛り上がって欲しかったのは、僕だけではなく選手みんなが思っていたこと。僕や佐古(賢一さん/現・広島ドラゴンフライズヘッドコーチ)が契約選手となってバスケットだけ専属してできるようになったのに、「なんでバスケットは盛り上がらないんだ」「マイナースポーツなんだ」という話は佐古ともよくしてました。それを打破するためにも、「オリンピックに出れば何かを変えられる」という話も佐古とし、真剣にオリンピックを目指していたわけです。
選手はリーグや会社の上層部から何かを言われるわけでもなく、あの時代は情報が全くありませんでした。リーグで何を話し合われて、どうしていきたいのかという話が全く分からない。その後、クラブ代表という立場となり、当時のリーグの会議に出たときに思いました。「これは無理だ」と、愕然としました。言葉を選ばないで言いますよ。それぞれ言うことがトンチンカンだった。決定権のない人ばかりが集まって話しているので、その場では何も決まらない。さらに、参加者も毎回コロコロと変わるので、話は一向に進まず、これではプロリーグになるわけないですよ。
こうなっていたからうまく事が進まずに、ここまでバスケットは来てしまったんだな、と納得しました。それも、僕がクラブ代表という立場になっていなかったら、選手たちはその後も分からないままだったはずです。結局、その後も会社から情報は下りてこなかったですからね。僕はバンバン言ってしまってますけど。もう過去の話ですが、実際はそうだったわけです。
これまでもバスケットがメジャーになる要素はあったんですよ。だってスラムダンクがあったり、世界選手権(2006年)が日本で開催されたり、田臥(勇太選手/現・栃木ブレックス)がNBAに入ったり(2004年フェニックス・サンズ)、いろんなことがあり、きっかけはたくさんあった。それをできなかったのが、当時のリーグであり協会でした。
今、Bリーグができて改革は進みましたが、結局、犠牲になったのは選手たちです。FIBAから制裁を受け、国際大会に出られないと言われたのも選手たちです。実際、女子U-19日本代表が世界選手権に出られなかった。U-19世界選手権は、一生に1回しか出られない大会じゃないですか。それは大人の事情の責任であり、今後どう責任を取るのかという話ですよ。今、こうして前に進んだわけですが、その裏には泣いているヤツがいた。その気持ちを忘れることなく進んで行かなければ、何事もうまくはいかないと、僕は思いますけどね。
全ては自己責任!シューターらしい考え方
クラブの代表とは言え、僕から選手たちに練習のことや節制しろなど、何も言わないです。プロ選手なので、それぞれで良いと思ってます。だから、プロである以上は自分で責任を取らないといけない。結果が残せなければ自分で責任を取らなければいけないし、アドバイスをすることはあるけど、それを100%やっても良い結果になるかは分からない。それは人それぞれ自分自身のやり方を作っていかなければ分からないです。
僕はサプリメントも飲まないし、好きなものを食べるし、節制してきたわけでもない。さすがに今は食事管理を考えるようにしていますが、そこも含めて自由。トレーニングをしてもしなくても、空いた時間は自由。トレーニングしたからうまく行くとは限らないし、全ては自己責任。何をしようがクラブの代表として何も言わない。それが大人ですし、プロですよ。
(ゴールを決められることだけを求められるシューターらしい考え方と言えますね?)
そうなんですよ。入れば良い。僕はシュートフォームがキレイだと言われますが、僕のシュートフォームを真似したってシュートが入るなんていうのは大間違い。みんな骨格や筋肉量が違うし、感覚も違うのにシュートフォームを真似てどうするのっていう話ですよ。
自分の打ちやすい場所から打てば良いし、それが頭の上でも肩からでも入れば良い。あとは全て感覚の問題。それを得られるかどうかであり、シュートはそんなものです。感覚なんで。だから、自分の感覚を人に教えることはできないし、自分自身でしか知ることができない。そのために多くシューティングするのか、他に何かするのか。その何かをプロとして、自分で見つけなければいけないです。
昨日、古巣のA東京戦に73-82で敗れたが、14点を挙げた折茂さん。本日12月17日(土)も18時より代々木第二体育館で試合がある。
「チームとしては良い状況になってきている。先日(12月10日)の名古屋(ダイヤモンドドルフィンズ)戦も39分まで良いバスケットをし、最後の1分でやられてしまった。今日も30分以上は自分たちの良いバスケットができている。それを継続していくことが今は大事。今日は序盤からターンオーバーが多く自らピンチを招いた部分もあったが、それでも追いつくことができた。まだ結果はついてきていないが、下を向くことなく戦っていくだけ」
アウェイゲームが続くがチーム状況は上向いており、年末12月30日・31日の北海きたえーるでファンに良い試合を見せてくれることだろう。今後も、46歳の点取屋の活躍に目が離せない。
文・泉 誠一 写真・五十嵐 洋志、泉 誠一