バスケットボールは様々なアイテムがある希有なスポーツだ。ユニフォーム(ジャージー)、シューティングシャツ、ウォームアップスーツ、スウェットスーツ、Tシャツ、バスパン、ポロシャツなどなど、豊富なギアがラインナップされ、いずれも実用性を兼ね備えている。中でもバッシュこと、バスケットボールシューズこそ不動の人気を誇るファッションアイテム。街でも着やすいカッコ良さが、すでにバスケには備わっている優位性がある。
インターネット配信で世界戦略を考えた時に、バスケの技術よりも、独自路線のウェアで勝負できる。NBAや海外の代表チームを見ても、昨今はどれも似たり寄ったりのウェアに落ち着いている。しかし、昇華プリントで切り返しや版数を意識することなく、奇抜なウェアだって今では安価で容易に作れてしまう。ストリートボールに目を向ければ、カラフルかついろんなデザインで溢れている。背番号を単なる漢数字ではなく、「猿」など漢字で表現するチームだってあった。戦国武将、アニメのコスプレなどから日本スタイルを見出し、世界へアピールすることも一つのアイディアである。
我が街のチームウェアを着て歩く優越感
しかし、なぜか日本では応援すべきチームウェアを街で見かけることがなかなか無い。試合当日の会場付近以外では、プロ野球やJリーグでさえも探すのは困難だ。バスケに至っては、会場に入ってからチームウェアを着る光景をよく目にする。反面、NBAチームウェアをファッションとして取り入れている方もまた、多く見かける。
先日、銀座を歩いていたら、NBAチームやヨーロッパサッカーチームのウェアを着て歩く外国人観光客が多いことに興味が沸く。ごくごく普通にレイカーズのロゴが胸に入ったTシャツは、お世辞にもカッコイイとは言えない。それでも誇らしげに日本への旅行時にも着ていた方へ、思わずどこから来たのかを伺ったところ、やっぱりLAだった。そこには優越感さえ漂っているように感じた。
日本は英語圏ではないせいか、英語に魅力を感じる傾向がある。筆者もその一人であり、最近ではフランス語が書かれたTシャツなどを探していた。極端に言ってしまえば、その意味や背景などはどうでも良く、アルファベットのデザイン性を欲しているだけとも言える。
同じように90年代初頭、アメリカでは漢字ブームが到来。NBAチーム名を漢字一文字で表し、それがTシャツやニューエラのキャップなどに施されて人気を博した。例を挙げると、ワシントン・ウィザーズは「巫」である。それでもブレていなかったのが、日本や中国から漢字アイテムを持って来るのではなく、あくまで我が街のチームウェアに新しいエッセンスを加えただけの話。LAから来た観光客と同じように、どこにいても、どんなデザインであっても、我が街のチームウェアを着て歩くのに変わりはない。
応援着から普段着へ
単なる“応援着”というジャンルに分けられてしまっている国内プロチームウェア。逆に海外プロチームウェアは縁もゆかりもないことで単なる洋服であり、“普段着”という認識で落ち着いているのかもしれない。何とか国内プロバスケチームウェアも、この“普段着”という文化を勝ち獲りたいところだ。そのためにも、着やすいデザインとともに、流通を確保できることが先決である。
ナゼ、30年以上も前の小学生時代にあれだけ野球帽をかぶる子どもが多かったのだろうか?
自らの入手経路を紐解いて行くと、ライオンズの親会社の系列スーパーである西友にも関わらず、主要プロ野球チームの野球帽が売られていたからに過ぎない。しかも、ユニフォームやTシャツなどが売っていたわけではなく、野球帽しか無かったのもまた一つのカギだったと思わずにはいられない。
夏真っ盛りの今、タンクトップスタイルのバスケジャージーは重宝されるはずだ。しかし現在はオフシーズン。会場で買うことはできず、プロバスケチームサイトを見ると完全受注生産であり、納期は1ヶ月や2ヶ月以上先と明記されている。迅速な流通やその販路、定番になり得る商品選定やデザインなどを見極め、バスケウェアを市場に溢れさせることが大事である。
NBAサマーリーグで一躍世界に脚光を浴びた富樫勇樹選手。Dリーグを含め、NBA入りを果たした暁には、NBAストアで秋田ノーザンハピネッツ時代の“スローバックジャージー”として売る道を探したい。
放映権もマーチャンダイジングも海外に市場を拡大させ、さらには観光客向けにチケットを売ったり、外資企業をスポンサーにつけたりと、外貨を収入源とするチームがあっても良いだろう。京都や北海道など観光地をホームとするチームであればなおさらだ。
1日も早くプロバスケチームが稼げる優良企業だということを証明し、日本スポーツ界を牽引するような取り組みに期待したい。世界のマーケットに乗れば、3番目のプロリーグなんて序列は、あっという間に抜き去ることができる。日本のスポーツはそれほど成熟しておらず、いくらでも上を目指せる成長産業なのだ。
泉誠一