取り上げたのはほんの一部に過ぎないが、これだけでも石崎が仲間たちに与えてきた影響力の大きさは十分伝わってくる。『若いころの鬼の石崎と後期の仏の石崎の両方とも最高に刺激的で魅力的な人でした』とツイートした寒竹隼人(仙台89ERS)はその真意をこう語る。
「鬼の石崎とは大学時代ユニバーシアードの代表合宿とかで一緒になったザキさんの自他ともに厳しくストイックな姿を指します。自分は拓殖大学だったので普段の東海大の練習は知りませんが、聞くところによると下級生たちは結構ザキさんにビビッていて、ザキさんに認められるのを目標にしていたらしいです。それ、すごくわかります(笑)。2007年のユニバで日本は4位になったんですけど、そのときのザキさんのプレー、けん引力は本当にすごかった。みんながあこがれるのはあたりまえだと思いました。それから時間を経て今度はキングスのチームメイトとして出会ったんですが、このときはもう見た目から優しい仏の顔になっていました(笑)。けど、もちろんプレーヤーとしての基本的な部分がブレていたわけじゃありません。プレーの精度も相変わらず高くピック&ロールの使い方は誰よりも上手かったし、ここしかない!というパスの出しどころも誰より勝っていました。レンタル移籍で仙台に行った後もザキさんのプレーが見たくてキングスの試合は必ず配信で見てたぐらいです。そういうものを全部ひっくるめて僕が1番すごいと感じたのは後年のザキさんです。あれだけの選手ですから当然プライドもあるだろうし、たとえばプレータイムをもっと欲しいとか、そういう気持ちもあったんじゃないかと思うんですね。でも、ザキさんが見せてくれたのはファンならだれでも知っている“ベンチで1番チームを盛り上げる姿”です。僕だけじゃなく、鬼の石崎を知っている者は間違いなくみんなびっくりしたと思いますね。それができるのがザキさんなんです。今何が1番大事かを考えて、そのために自分が変わることも恐れないっていうか、スッとそれをやってしまうというか。僕にとって鬼の石崎も仏の石崎も最高にリスペクトできる存在でした」
ベンチにいるときは必ず1番端に座り、仲間が好プレーすればバンザイをしながら立ち上がり、選手交代やタイムアウトの場面では戻ってくる選手を率先して笑顔で迎える。確かに学生時代の石崎からは考えられないような姿だったかもしれない。石崎の中にどんな変化が生まれていたのだろう。
「昔は義務とか責任にとらわれて出せなかった感情を30過ぎたあたりから素直に表現できるようになったんですね。そうしたらバスケットがよりおもしろくなりました。若い選手たちへのアドバイスにしても自分にどんなアドバイスができたかというより、彼らが好奇心や向上心を持って質問をしに来てくれることがうれしかったです。個人的には選手としての限界を感じたし、ポジティブな変化もネガティブな変化もありましたけど、その両方を受け入れることで人間的な豊かさというか、懐の深さのようなものを得ることができました。それを自分の変化とするならば自分のキャリアの中で一番長い時間を過ごしたキングスは、いい意味で大きな変化を与えてくれたチームだったと思っています。キングスでの4年間は本当に楽しかったです」
鬼の石崎も自分、仏の石崎も自分。ただそれは周りがそうとらえるだけであって、時の流れの中で自分は常に『なりたい自分』になろうとしてきただけのことだ。現役最後の日までそれは変わらなかったと思う。
「バスケットの現場でバスケットに携わる者として、やりたいことは十分やったなあと思っています。うん、そうですね。バスケット選手石崎巧としてそれはやり切れたんじゃないかなあと」
「自分がなりたい自分になる」── 石崎巧という生き方
(5) 周りを驚かせた第2の人生 に続く
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE