「高校3年間を振り返って思うのは『戦術というものを知り出した時期だったかな』ということです。やっぱり人が5人集まってチームとして勝ち負けを競うバスケットをやっていると、結果を求めるプロセスは多様で、いろんな方法があります。それぞれが模索しながら1つのものに向かっていく共同作業であることを少しずつ知っていったというか、知り始める入口に立ったというか。それが高校のときだったと思います。それともう1つ大きかったのは県外から来た先輩からいろんな話を聞けたこと。北陸高校の上下関係はそれなりに厳しかったんですが、僕が1年のときの先輩はすっごくおもしろい人ばかりで、県外から来ている人は地元のいろんな話をおもしろおかしく聞かせてくれました。福井に生まれ育って自宅から自転車で10分の高校に通ってる自分にしてみたらどの話も新鮮なわけですよ。へぇー、はぁー、うそーみたいな(笑)。大げさに聞こえるかもしれませんが、別の世界を知って自分の視野がちょっと広がったたような気がしました。インターハイ優勝もウインターカップ準優勝もアジアジュニア選手権もそれぞれいい経験だったことに間違いはないですが、何が1番良かったかと聞かれたら先輩たちの話を聞けたことだと答えますね。まあバスケットとは関係ないんですけど(笑)」
進んだ東海大学は当時関東大学リーグ2部に所属していたが、石崎をはじめ竹内譲次、内海慎吾(京都ハンナリーズ)、阿部佑宇(元パナソニックトライアンズ)、井上聡人(元オーエスジーフェニックス他)といったアジアジュニア選手権の代表メンバーが揃って入学したことで一躍脚光を浴びた。「うーん、だからと言って特に高揚感はなかったですね」と、素っ気ない口調は相変わらずだが、本人の言にかかわらず石崎の存在はここからよりクローズアップされていく。
『ゴールデン世代を束ねるリーダー』── 周囲が石崎に期待したのはまさしくその役割だった。
「自分がなりたい自分になる」── 石崎巧という生き方
(2) だれもが一目置く『変なヤツ』 に続く
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE