ところが「中学で野球をやる」と口にしたとたん、周囲が一気に騒がしくなった。小学6年生にしてすでに “バスケット界の逸材” と見なされていたのだろう。実家には中学のバスケット部顧問や地元バスケット協会の関係者が次々に訪れ、「君はこのままバスケットを続けるべきだ」と説得されたという。
「子ども心に僕はそれが嫌でした。なんか僕がバスケを続けるのが当然みたいな周囲の思惑や雰囲気、そういったものに縛られるのが嫌だったんですね。今思えば野球部に入ろうとしたのは自分なりの反発だったかもしれません。僕は僕が選んだものをやりたいんだ!みたいな(笑)。結局そのときは圧倒的な周りの説得に負けてバスケを続けることになりましたが、『人から強要されるのが嫌い』という自分の性格が変わるわけもなく、その後もいろいろ問題を起こしていました(笑)。部活というのはたいてい先生が決めた練習メニューに沿ってやりますよね。でも、自分が納得してないのにあれをやれ!これをやれ!と頭ごなしに言われるのは大嫌いでした。だから、やってる練習に疑問があると『この練習、やる意味があるんですか?』と先生に聞いてしまう。先生からしたらめちゃめちゃ面倒くさいやつですよね(笑)。断っておきますが、別に自分が特別な選手だと思っていたわけではないし、自分の中に明確な思想があったわけでもありません。ただ、自分がたどり着きたい目標に向かって改善できるものは改善していきたい気持ちが常にあったのは確かです。考えてみれば超前向き!(笑)。けど、指導者やチームメイトの中には『今やっていることがベストで、これを続けていくことが目標達成の近道』という認識があったんじゃないでしょうか。まあこれは僕の勝手な想像ですけど」
結果を求める方法はいっぱいあるんだ
意識が少し変わったのは北陸高校に進学してからかもしれない。周知のとおり北陸高校は全国大会常連の強豪校。県外からも多くの有力選手が集まることでチーム内の競争も激しかった。それを勝ち抜き2年生からスタメンの座に就いた石崎は3年のインターハイで前年の覇者・能代工を破って優勝、ウインターカップ決勝では竹内公輔(宇都宮ブレックス)、竹内譲次(大阪エヴェッサ)を擁する洛南に惜敗したものの、相手を翻弄する変幻自在の1on1は『コート上のマジシャン』と評され大きな注目を集めた。同じ時期には現在のアンダーカテゴリー(U19)にあたるジュニア日本代表のキャプテンとしてFIBAアジアジュニア選手権に出場。文字通り世代を代表する選手の筆頭と目されるようになる。