part2より続く
特別指定選手のススメ、パイオニアとして
中村太地がプロバスケ選手を夢見たのは小学2年のとき。2006年、世界選手権が日本で開催されていた。山口に住んでいた中村は、父に連れられて行ったグリーンアリーナ広島で観戦した日本代表を通じて、世界最高峰の戦いを目の当たりにする。バスケをはじめてまだ1年足らずの太地少年は父に向かって、「プロになる」と宣言した。
父はバレーボールで国体に出場し、将来有望な選手だった。しかし、長男として家を支えるために就職を決断する。その話を聞いた中村は、「お父さんが諦めなければいけなかった夢を叶えるためにも、俺がプロにならなあかん」と小学2年に抱いた夢を今、たぐり寄せつつある。幼い頃から父は事ある毎に目標を問い、「関東の大学に行く」「MVPを獲る」「50点獲る」など心の中にある情熱を声に出させてきた。振り返れば、叶わなかった目標の方が多かった。だが、実現した目標も少なくはない。「人に言うことはメチャクチャ大事です。それが今に生きていると実感してます」と父に感謝し、目標宣言が自信につながっている。
性格的に「目立ちたいとか人気者になりたいという一面がある」。今、中村が掲げる目標は「パイオニアになりたい」だった。大学生として特別指定選手制度を行使し、プロと学業を両立させていること自体が、すでにパイオニアと言える。「A案とB案があるならば、両方とも実現できるC案を取れ」という鈴木良和さん(バスケットボールの家庭教師/ERUTLUC代表)の言葉に感銘を受ける。
「まさに今の自分がそう。卒業とプロになる2つの選択肢があり、どう両立すべきか悩んでいたときに刺さった言葉です」
特別指定選手制度を利用し、「違うヘッドコーチの下でいろんな戦術を学びたい」意欲もあった。シーホース三河の鈴木貴美一ヘッドコーチは、「選手のことをよく観察しているというのが最初の印象。細かいところまでは言わず、自由にやらせてくれるけど、求めるレベルになければ、使う選手と使わない選手がハッキリしています。逆に自分で勝ち獲れば、強い信頼関係が作れるということが分かりました」。
昨シーズンの富山グラウジーズを率いたミオドラグ・ライコビッチヘッドコーチは気性が激しかった。
「でも、それも選手のことを思って言ってくれていると分かってるからこそ、プラスにしか捉えていなかったです。怒られたときに、いかにそこからプラスにできるかを学ぶことができました。ルカ(パヴィチェヴィッチヘッドコーチ/アルバルク東京)もそうですが、セルビア人はバスケに熱いし、何よりもバスケが好きなんです」