迎えた今シーズン、誰よりも早くオフシーズン中から特別指定選手として横浜ビー・コルセアーズとの契約を果たす。これまでとは違い、日本代表活動を通して「戦力として僕を評価してくれていたので、前向きに考えることができました」と、横浜と滋賀レイクスターズからオファーが届いた。奇しくも両チームのヘッドコーチ(横浜:トム・ウィスマン、滋賀:ショーン・デニス)は、ともにBリーグ初代チャンピオンの栃木を率いた二人であり、どちらに行っても成長できる確信はあった。家から近く、いつでも練習に参加しやすい横浜を選ぶ。3シーズン目は「ベンチに座っているだけでは違うな」という強い覚悟を持っていた。
昨夏は男子日本代表の若手メンバーの一員として、アジア競技大会に出場。時を同じくして関東大学リーグ戦もはじまっており、休むことなくバスケ漬けの日々が続いた。その合間を縫って横浜の練習にも参加し、準備してきたことで開幕8試合目のホームゲームから出場機会を得る。これまでの2シーズンはいずれも1試合しか出場できなかったが、横浜では43試合に出場し、3度の先発を任されるまでに飛躍できた。
190cm、ビッグガードとしてのプレーが少しずつ安定してきている。日本代表で培ってきた速い展開からオールコートでオフェンスを仕掛けることが持ち味だが、「ボールをプッシュしないとリズムをつかめないので、どうすれば良いか最初は葛藤がありました。うまくいかないからプレータイムも伸びない。最初は苦戦しました」と横浜は勝手が違った。
それを打破するためにコミュニケーションを取り、自分のプレースタイルを先輩たちに示していく。4月13日、富山を迎えて行われた最後のホームゲームであり、特別指定選手としてのラストゲームで先発を任された。持ち味である速い展開でチームを引っ張ると、第1クォーターは22-9とリードを奪う。しかし後半は、相手にインサイドを攻め込まれ、逆に走られて点差を詰められる。「あれはダメな部分を象徴するような試合でしたね」と言うように、最大19点差があったにも関わらず、勝ち切れずに終わった。
すでに横浜の残留プレーオフ出場が決まり、中村もチームの一員として準備をしていた。しかし、学生にその重責を負わせるわけにはいかないというチームと学校の事情があり、富山戦が最後となった。
「僕自身はヒリヒリするような残留プレーオフでプレーする経験をしたかったのは正直なところ。でも、さすがに来シーズンのB1残留が懸かる試合はプロ選手だけで戦った方が良いのかなって思い、納得しました」
特別指定選手が終われば、大学バスケの新シーズンがはじまる。4月29日にはスプリングトーナメントの初戦(江戸川大学vs国学院大学の勝者)が控えており、その試合に勝てばシード校であり、昨年のインカレ準優勝校の専修大学との対戦が想定される。
「過去3年間、1回もアップセットできず、いつも16強止まり。最後にアップセットを起こしましょう!」
自分に言い聞かせるように、高々と宣言した。
part2へ続く
【そつなくこなすバスケと学業の両立術】
文・写真 バスケットボールスピリッツ編集部