ゼネラルマネジャー(GM)はバスケットボール界でもよく耳にする名称だが、実際にはどんな仕事を担う役職なのだろう。検索してみると『マネージャーの中でも上層部に属する職位であり、経営や事業戦略について決定権を持つ役職』とある。つまり選手の特性を見極め、育て、それを生かした戦術戦略を駆使するのがヘッドコーチの役割だとすれば、GMはそのヘッドコーチも含めたクラブ全体に目を配り、方向性を定めていく役職ということだろうか。当然、仕事は多岐にわたり、責任も重い。伊藤大司はそれを覚悟したうえでこの道を選んだ。1年のアシスタント期間を経て、アルバルク東京のGMに就任したのは昨シーズンのことだった。
あらためて伊藤の選手としてのキャリアを振り返れば、努力の足跡が見えてくる。三重県の鈴鹿市立創徳中学(3年次に全国中学生大会準優勝)卒業後、15歳で渡米。モントロス・クリスチャン高校ではキャプテンを務めるほどの存在となり、NCAA1部の名門ポートランド大学への道を開いた。ちなみに狭き門で知られるNCAA1部の大学に進んだ日本人選手は松井啓十郎(コロンビア大/香川ファイブアローズ)に次いで2人目である。
卒業後の去就が注目される中、帰国しJBLトヨタ自動車アルバルクに入団。以後Bリーグが開幕した2016-17シーズンまでトップチームをけん引するポイントガードとして活躍した。翌シーズンは期限付きでレバンガ北海道に移籍。1年後にはアルバルク東京を退団し、籍を移した滋賀レイクスターズ(滋賀レイクス)で3季にわたり頼れるリーダーとしてコート内外でチームを支えた。その伊藤が35歳で引退を決意し、セカンドキャリアとしてGMの道を選んだきっかけはなんだったのか。まずはそこから語ってもらうことにした。
一時はバスケットと無縁の仕事に就くことも考えた
── どんな選手であっても引退の時期は必ず来るものですが、伊藤さんがご自身のセカンドキャリアについて考え始めたのはいつごろでしょうか。
伊藤 セカンドキャリアに関してはわりといろいろ考えることはあったんですが、はっきりこれというものはなくて、どれも漠然としたものでした。それこそ最初のころは引退したらバスケットとはまったく関係ない仕事に就くのもいいかなあと思ってたんですよ。実家が飲食店をやっていることもあり、そっちの道に行くのもありかなあとか。
── なんと!それは意外です。
伊藤 というのも、アルバルクでプレーしていたときは、なんていうか、言い方はあれなんですが『優勝か地獄か』というプレッシャーの中でプレーしていたんですね。アルバルクは常に優勝を求められるチームであり、優勝させることだけが自分の仕事だと思っていました。もちろん、それはプロ選手の意識としては大切なことなんですけど、当時はメンタル的に追いこまれることもあってかなりきつかったです。引退したらバスケとは無縁の世界に行ってみたいと思ったのは、自分の中のどこかにそういうプレッシャーから解放されたいという気持ちがあったからかもしれません。