人生が変わるような体験。
そのためには中途半端は許されない。
「すべてを変えなきゃいけないと思いました、最初に。」
渡邉GMが途中から就任した2021-22シーズン終了後、京都ハンナリーズは変革の時を迎えた。
「まずは規律を徹底できるヘッドコーチ、文化を作り出せるヘッドコーチが必要だと思いました。僕の現役時代の経験からすると、7割はヘッドコーチでチームが出来上がっている。早急に探し始めたところ、ロイ・ラナヘッドコーチの名前が出てきて。彼だったらそういうものが作り出せるんじゃないかという考えに至りました。
そして京都のためにやりたい、本当にそういう覚悟を持った選手を集めなければチームは変わらないとも思いました。選手のレベルとかスキルとかではなくて、ここでやりたい、って思う選手をまずは集めなきゃいけない。それでB2に落ちたとしても仕方がないというか、それくらいの覚悟を持って変えないと、これはなにも変わらない。そう思って選手にヒアリングをして、覚悟を持って京都でやりたいという選手か、京都で再スタートを切りたい、再飛躍をしたい選手を集めることが去年のシーズンはまず大事でした。」
2022-23シーズンが終わってみれば、「京都が変わったっていうインパクトを少しでも出せれば、それでB1に残留できれば成功じゃないか」と語る渡邉GMの思惑以上の成功を収め、来シーズン以降のさらなる飛躍が期待されるチームの一つへと生まれ変わった。
Bリーグの強豪と比べれば決して潤沢な予算に恵まれているとは言えないなかで、短期間のうちにGMとしての思いを実現させたその秘訣はなんだったのだろうか。
結果を残す優秀なGMとそうでないGMの違いは、どこにあるのだろうか。
「まず自分がいいGMだともまったく思っていないですし、結果もまったく出てないと思っています。まだまだ学んでいかなきゃいけないという前提の話ではあるんですが、そうですね…例えば、選手にカットすることを伝えるときの辛さは、長くやっていると麻痺してしまうのかなっていう恐怖心がすごくあって。でもそれはダメなことだって自分では言い聞かせています。その一言で選手の人生が変わってしまったりとか、ご家族に影響があったりするからこそ、絶対に嘘はつけないって思いますね。思っていないことを言っちゃいけないし、考えてもないことをその場のノリで言ってはいけない。人が嫌がることをしないとか、自分が嫌なことは相手にしないとか、本当に人として基本的なことを普通にできないといけないと、常に思っていて。それはGMである前に自分が子どもたちに伝えてきたことでもあって。そういう思いやりとか気遣いを、自分はバスケットボールで学びました。スペーシングで一歩離れるとか、一個スクリーンをかけるとか、一個カッティングするとか。そうしよう、って思うことが思いやりとか気遣いだと思うし、GMになってもそれだけは忘れずにやりたいと思っています。辛い判断をすることは多いんですけど、それが選手に…こう…本当に考えてくれた決断だったって伝わるように、自分が日頃からその人に接しなきゃいけない、というのは心がけていることです。
もちろん選手だけじゃないですし、スタッフも、スポンサーの方とか、フロントの人たちとか、その辺のバランスを保つのも難しいです。あるときにはもしかしたら、お互いを感情的に批判する瞬間があるかもしれないんですけど、それが5年後10年後にあの経験がやっぱりよかったなって思ってもらえるようなコミュニケーションの取り方がすごく重要だと思っていますね。」
詳しい話を聞いてもなお、子どもが目指したくなる職業とはお世辞にも言い難い。
大切なことは人と人。
それを教えてくれたのは、バスケットボールだった。
楽しくなければ(後編)へ続く
文 石崎巧
写真 B.LEAGUE