「(引退後)最初は少し子どもたちに教えたいな、って思いがあったくらいで、GMをやりたいとはまったく思わなくて。本当にGMをやりたいって思ったのは、アルバルクをやめてから、ですね。本当に自分の思いがそっちに向いたのは。
京都からは現役時代にもオファーがあったりしたんです。(アシスタントGMの仕事についていた)アルバルクをやめたときにも一度GMのオファーがあったんですが、そのときは自分がやりたい気持ちにはなれなかったので断ってたんですね。そのあと、子どもたちとの活動をしていて、素晴らしい時間ではあったんですけど…この話は伝わるかわからないんですが、子どもたちにバスケットを教えたあとに旨いビールが飲めるかっていったら、またちょっと…違う。ジャンルが違う。それでやっぱり、現役時代に味わった緊張感とか、ちょっとずつまたそれが恋しくなってきて…でもコーチはやりたくないと。自分のなかで立場的に向いていそう、合っていそうなのは、そのポジション(GM)なのかな、って考えだしたときにちょうど、またオフォーをもらったんです。タイミング、大事だと思うので、覚悟を決めたのが始まりですね。」
努力は人間を高め、そしてときに壊す。
確かな技術を手にしながらもボールに触れることを拒み、コート上での知的な振る舞いにもかかわらずコーチを目指すことはなかった渡邉拓馬。
その過去にあったであろう壮絶な体験は、二度と燃えさかることのないよう、心の底を覆い尽くしていたかに思われた。
悔しさや苦しさ、怒り、恐れをガソリンにして手に入れた莫大なエネルギーの代償はあまりにも大きい。
「辛かったです、辛かったですよ(笑)。もう、シューティングなんて一番地獄じゃないですか。終わりがない。」
しかし彼はまた、現場の第一線に帰ってきた。
子どもたちが、バスケットボールの明るい未来が、彼にとっての新しい、クリーンな燃料となった。
「最初はね、やっぱり違ったんですよ。でもちょっとずつこう…なにか、もう、ひとつ。やりたくなったというか。恋しくなったというか。なので、たぶん辛いんだろうけど、自分が今いる場所は、今はそっちなのかな、とか。思ったりして。バランス、というか。覚悟も決めてやっていて、辛くて逃げたいわけではないんですけど、バランスをとるために子どもたちとの関係(も続けていきたい)、とか。利用しているわけではないんですけど、自分のバランスをとっているのかな。でもそれが両方にとっていいのかな、とも思ったりします。いいように捉えているんですけど。でも当時はそうやって、戻りたくなったのは本当ですね。」
楽しくなければ(中編)へ続く
文 石崎巧
写真 B.LEAGUE