理想的なプロスポーツ選手の条件。
競技への情熱、謙虚な姿勢、あくなき向上心。
人生の一分一秒に成長を求め、絶え間なき努力とともに生きていくことを約束する人材。
勝った折りには改善点を見つめ、負けてしまえば己の力不足を恥じるような、とにかく満足のしなさが全身にいき渡った、そんな選手が実在したとしたら、とても危ういなあと思わずにいられない。
「ボールも触りたくないぐらいでやめた」と語る京都ハンナリーズの渡邉拓馬GMは、卓越した技術ともの憂げな表情が印象的な選手だった。
「一度燃え尽きて」選手生活を終えたものの、『知性』がユニフォームを着て動いているようなプレーヤーだっただけに、周囲からコーチ職を期待される声も多くあるという。
しかし、渡邉GMはその道を選ばなかった。
「コーチは自分には向いてないと思ってたんで。現役中から。」
プレーヤーが終わってコーチを目指す人間は数多いるが、バスケットに深く没頭し続けたからこそ見えてくるものもまたある。
「(コーチの)辛さも知ってましたし、基本的に人に対して怒ることができないんです。だから絶対に無理だと思っていて、コーチの選択肢はまったくなかったですね。
子どもたちに教える、というか楽しさを伝える、いまもGMの傍らでやっていますけれど、それはやりたいと思っていて。ただ、プロ選手を教えるというのはやっぱり…その人の考え方をすごく尊重してしまうので、なんかこう、自分がそこに割って入ることがなかなかできない。
でもなんかすごく…頭のすみっこのほうには、最終的にどこかでやるんだろうな、っていう恐怖心もあるんです(笑)。流れでやってしまいそうな恐怖心もあるんですけど、できればやりたくない。もうちょっと人間的に成熟しないと無理だなって思っちゃいます。」
終始落ち着いて話をしてくれる彼の話を聞きながら、この人より人間的に成熟してるコーチって誰がいるだろうかと、そんなことをぼんやり考えていた。
コーチにならないと決めてはいたものの、引退後の生き方が明確に定まっていたわけでもなかった。
情熱を傾ける対象について思い悩む日々が続いたが、「真摯に向き合ってバスケットをやってくれば道ができてくる、という思いで進んできた」と語る自身の言葉のとおり、バスケットの様々が彼を必要とした。
アルバルク東京のアシスタントGM、3×3プレーヤー、スペシャルオリンピックスドリームサポーター、東北『夢』応援プログラムの夢応援マイスターなど、様々な役職、活動に携わる日々。
そして、2021年には京都ハンナリーズのGMに就任する。