途方もない悔しさもいつか自分の糧になると信じたい
インカレ決勝戦後、勝者と敗者がそれぞれ登壇する記者会見場は毎年笑顔と涙が交錯する場所だ。しかし、白鷗大に敗れた大倉の表情はこれまで見たどんな敗者よりも痛々しかったように思う。残り10秒を切って同点のシュートを託された自分が決めきれなかった悔しさ、無念さ。「負けたことをまだ認められないです」。それがやっとの思いで絞り出したひと言だった。大会前から『ぶっちぎりの強さ』と噂されていた東海大は意外にも大会を通して苦しみ続けた。2回戦の大東文化大戦は65-63、続く中央大戦は69-65、専修大との準決勝は79-71。前半リードを奪いながら後半に猛追されクロスゲームに持ち込まれる展開は『ぶっちぎりの強さ』のイメージからは程遠いものだった。「自分の今までのバスケ人生の中であれほどプレッシャーがかかったメンバーを見たことはなかった」と大倉は言う。勝たなきゃならないという重圧が伝染するかようにみんなの顔をひきつらせていく。それでも毎度の接戦を勝ち切って決勝まで駒を進めたのはある意味東海大の強さと言えるかもしれない。しかし、猛追をなんとかしのいで逃げ切るというパターンが決勝では通用しなかった。
「あきらめないすばらしいバスケットをしていた白鷗に比べ、うちは本来のチーム力の半分も出せていなかったと思います。全く僕たちらしくなかった。僕自身どうにかしなきゃと思いながら頭が真っ白になってしまう瞬間がありました」。
もちろん優勝はしたかった。優勝しか目指していなかった。「でも」と大倉は言う「でも、あんな不甲斐ない試合をして、もし白鷗に勝てたとしても心底喜べたかどうかわかりません。多分喜べなかった気がします」。それは決して負け惜しみではなく、インカレ決勝を戦ったエースのプライドが言わせた言葉かもしない。大きな痛みとともにまた1つ何かを知ったという感覚。コロナ禍による大会中止や人生初の大ケガや、振り返れば辛い経験も少なくなかったが、どんなネガティブな出来事の中にも何かしら得るものがあったような気がする。それは最後の最後に味わった途方もない悔しさも同じ。「きっとこれからの自分の糧になる、糧にしたいと思っています」。が、糧にしたいのは乗り越えた苦しい経験ばかりではない。「僕は東海大でめちゃくちゃ楽しい4年間を過ごしたんですよ。陸さんをはじめいいスタッフ、いい先輩、いい同期、いい後輩に恵まれて東海大で過ごした4年間は本当に本当に楽しかった。仮に僕が大学に進まずBリーグに行っていっぱい稼げる人生があったとしても絶対この4年間と交換はしません。それぐらいかけがえのない時間だったから、そういう時間を持てたから、きっと次のステージでも頑張れると思っています」