もうコーヒーは飲んでしまった。
珈琲屋のバイトでありながら大量にコーヒーを飲むと気持ち悪くなるので仕事前の急激な摂取は控えておきたいところだが、テイクアウトで持ち歩けば好きな時に飲める。
事前の下調べでこの界隈の気になる珈琲屋に目星をつけておいたのだが、そのどれもが大豊商店街とか水上ビルとか呼ばれるようなエリアに店を構えているようだった。
カレーの店からはほど近い距離にあるため早速歩き出すと、先ほどまで太ももを覆っていた違和感がすっかり消えていた。
香辛料的ななにかが、太ももの筋違いに作用したのだろうか。
依然として顔面は湿ったままだし、身体にも熱を感じる。
あるいはペルシャ的な副菜が。
ペルシャの家庭料理は健康長寿の源、僕たちはこれで病気知らずさ、みたいなことを鼻の高いアラブ系男子が笑顔で語っているCM風の映像が頭に浮かぶ。
だからペルシャってどこよ。
大豊商店街にはすぐ着いた。
昭和を感じさせる建造物が、長く、とても長く伸びていた。
一見したところ団地、じっくり見ても団地に見える建物が直列つなぎで延々と並んでおり、曲線を描いているせいもあって始点からは終点を視認できない。
その一階部分はどれもが商店、二階部分より上は居住スペースのように見えるが、人が住んでいる気配はほとんど見当たらなかった。
商店街では、夜の営業に備えて包丁を叩く音が響く昔ながらの居酒屋、ベテラン層が休日の午前中から頭髪を整える戦前からありそうな床屋、なつかしさを売りものにしていると思われるなつかし屋などに加え、店先に置かれた巨大な樽をテーブルにしてクラフトビールを楽しむブリュワリー、企業の垣根を越えた街中社員食堂、独身生活へのピリオドを強めに推進する婚活カフェなど、個性豊かな新進気鋭のお店も数多くあって全体が温故知新、現代と過去が融和したようなあんばいだ。
ユニークな空気感が自然と歩調を緩めさせ、周辺の色々を観察しておきたい気持ちにさせる。
駅側に近い立地では比較的新しい店も多く、店外まで並ぶような人気ぶりを見せるところまであったが、商店街の奥へ進むにつれて、シャッターが目立ってきた。
ショッピングモールの台頭により近年廃れゆく伝統的な商店街の再発展を願い、若いエネルギーとアイデアで生まれ変わりを手掛ける試みは各地で見られる。
建物の構造、水上ビルのネーミングなどから何かしらの歴史的な背景を持った建築物であることが察せられ、その活性化を目指す人々の取り組み、意志に胸の中が暖かくなる。
想定を遥かに上回る長さの商店街を一回りしていたら、あっという間にバスの時間になった。
早足で駅に戻る。太ももの調子は万全だ。
駅から会場までバスで20分。
そういえば、コーヒーを買い忘れた。
文・写真 石崎巧