「いずれは、という話は聞いていたんですが、『まさかこのタイミングで……』というのはありましたね」
言葉の主は石原裕貴。チームのエースガードとして、昨シーズンはB3のベスト5にも選ばれた選手だ。キャプテンを務める宮脇隼人も「いつかはなくなるんだろうなと思っていましたが、『今か……早いな』という感じでした」と振り返る。「覚悟はしていたので、そこまで動揺はなかった」(石原)とはいえ、そのときは思いの外早く、突然訪れた。アイシンアレイオンズは昨年9月24日、開幕を間近に控えた2021-22シーズンを最後に活動を終了することを発表した。
Bリーグファンの中にも、企業チームであるアイシンが近い将来にリーグを退会するのではないかと予想した人は少なくなかった。2026年に予定されている新Bリーグが、現在は別組織となっているB3を統合し、B3も完全プロ化に舵を切ることとなったためである。元はアイシン・エイ・ダブリュを名乗っていた会社が昨年4月に合併し、社名がアイシンとなったこともファンの予想に拍車をかけた。アイシンといえばBリーグ以前にシーホース三河を抱えていた企業であり、同一企業が複数のクラブに深く関わることになるからだ。
そしてその予想は、冒頭の石原と宮脇の言葉にもあったように、現場でもささやかれていた。昨シーズンから部長を務める安田学も「26年の完全プロ化の話があるので、そこで終わるんだろうなというのは薄々感じていた」とのことだが、そのタイミングが早まったのは「いずれ活動が終わるとわかっているチームに今まで通り会社員として入って、バスケットをやってくれる選手が来てくれるのかどうかとか、いろんな兼ね合いがあって今シーズン限りという判断になりました」(安田部長)ということだ。
元来日本バスケット界は企業チームが主体となってトップリーグを形成してきた。2000年の新潟アルビレックス(クラブ名は当時)が口火を切ったプロクラブ誕生の流れは徐々に加速し、企業チームも多くの選手が社業に従事せず、バスケットを職業とする体制にシフト。2016年に発足したBリーグはついに完全プロリーグとなった。その中で、プロアマ混在のB3にはNBDLに所属していた4つの企業チームが参戦。その後大塚商会がプロクラブ化で越谷アルファーズに生まれ変わり、東京海上日動が地域リーグに転籍しても、当時のアイシン・エイ・ダブリュは豊田合成とともに、もはや希少価値の高くなった企業チームとして参戦を継続し、外国籍選手も迎え入れるなど強化を図った。そして昨シーズン、JBL2参戦以降初めてとなるリーグ優勝にたどり着き、今シーズンは日本人プロ契約選手も獲得してさらに存在感を増していくかと思われた、そんな矢先の活動終了となったわけである。
そもそも、プロクラブの影響力が年々強くなる中で、「B2やB1に行ける選手もいる」と安田部長が胸を張るほどの実力を持つ選手が企業チームを選ぶのにも当然ながら理由はある。
「大学時代に練習試合をしたことがあって、日本人だけですごくスマートなバスケットをしている印象でした。卒業後もどこかでバスケットをしたいと思ったときに、大学のコーチと当時のアレイオンズのコーチが知り合いだったので、ぜひと思って入社させていただきました。仕事をしながらプレーしたいと思っていたので、自分の希望通りでした」(石原)
「地元なので小さい頃からチームのことは知っていました。大学を卒業する頃にBリーグができたんですが、その先のことも考えて完全プロよりは仕事もバスケットもできる環境でという気持ちがあって、地元ということもあって声をかけていただくことができました」(宮脇)