「敵を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」
大昔より語り継がれるこの真理は、戦いにおける情報の重要性を説いてくれている。
だがこの教えは裏を返せば、対峙する相手について情報がなければ勝つのは危うい、ということでもある。
そしてこの性質を逆手に取り、戦う相手が自分たちについて熟知していない状況を意図的に作り出せたなら、戦場において優位性を得られる可能性は高まるだろう。
情報の非対称性を利用した奇襲作戦は、バスケットボールにおいても珍しいことではない。
2月5日の島根スサノオマジック戦で、シーホース三河のアンソニー・ローレンスIIがBリーグデビューした。
シーズン開幕当初から、ベンチに座ってはいたもののなかなか試合に出てこないので、どういう立ち位置の人なのだろうかと不思議に思っていた。
それが突如としてロスター入りし、いきなりのスターティング5。
リリースを見る限りではチームスタッフとして帯同していたとのことだったが、この日は両チーム最多の23得点をあげた。
とんでもないスタッフを抱えていたものである。
恵まれた体格と豊かな身体能力を駆使したドライブが見事で、FGも71%と高確率。
長身ながらボールハンドリングがよく、ピックアンドロールを使いこなすうえ、パス能力も申し分ない。
こんな隠し球をいきなり出してこられたら、島根側もたまったものではなかっただろう。
通常、各チームは試合の準備として、相手チームへの対策を練る時間を設ける。
その時点までに行われた対戦相手の試合をチームスタッフが映像から分析し、特徴をまとめてチーム全体で共有する。
その中には当然、相手チームに属する選手個々に関した情報も盛り込まれ、それに基づいて守り方のイメージを作っていく。
右手が得意な選手に対して左に行かせるとか、アウトサイドのシュートが得意であればドライブさせるとか、大体そんな感じである。
しかし、この試合のローレンスに関しては、その情報が圧倒的に不足している。
もちろん、これまでの試合でもベンチに座っている姿は僕ですら確認できているので、各チームのスタッフがこれを見逃していたとは考えにくい。
いつか必ず出てくるはずの選手として、以前に所属していたチームでの映像やスタッツなどをあらかじめ入手していた可能性はある。
だが別の国でプレーした過去の情報は、気休め程度にしかならないことも多い。
環境が変われば、人も変わる。
人は、関係性の中で生きている。
所属していたチームでの役割、リーグのレベルなどとの関係により、個人が発揮できるパフォーマンスは変化するものだ。
目覚ましい活躍を見せていた選手が移籍した途端冴えなくなったり、またそれとは逆の現象が起こったりするのも、周囲との関係性に変化が生じたことによる影響が大きい。
Bリーグにおいて、ローレンスがどんなプレーヤーとなりうるかをこれまでの実績から正確に判断することは不可能であり、むしろ全くの未知であるといっていい。
バスケットにも押し寄せる情報化の波、データを基にした戦略策定が主流になっている現代において、これほど厄介な存在もない。
守り方に苦労しているように見えた島根を相手に、ローレンスは次々と得点をあげていくが、試合が進むにつれてある疑念が浮かび上がってきた。
「もしや…外が入らんな?」
ゴール近辺まで一気に侵入してくる鋭いドライブは目を見張るものがあるが、対照的にアウトサイドのシュートはまるで打つ気配がない。
3Qを終了して打ったシュートは11本。
そのうち7本を成功させるが、3ポイントは1本も打っていない。
ドライブが強烈な選手は外が入らない、というのは結構ありがちな話だ。