「動画を投稿した後に眠くて寝たんですよ。そしたら馬場選手の通知で目が覚めて『これ夢かな』って(笑)。多くの人がたくさん拡散してくださって、ちょっとでも認知してもらえたんじゃないかと思って嬉しかったですね」
時としてアスリートにはこういった自己PR能力も必要となるが、「僕は夢中になってやってきた人間なので、努力というより普通にバスケットをしてきてついた力なのかなと思います」という純粋なところもまた佐藤の魅力と言って良さそうだ。一方、「4位になったのはもちろん嬉しかったんですが、若干悔しい部分もあった。自分の力で証明していって、もっと認めてもらえるようになっていつかは1位を取りたい」と負けず嫌いな一面も垣間見せる。その意識がある限り、佐藤のダンクはより多くの人に届いていくに違いない。
そもそも、井口氏や馬場が認めるほどのダンクをする選手が日の目を見てこなかったのは、佐藤が無名の選手だったからだ。佐藤が歩んできた北越高から新潟医療福祉大というルートは、日本バスケ界でよく言われるエリートコースではない。岡山・比留木謙司GM兼HCに見出されてプロの道が開けたが、佐藤は無名だったことをモチベーションにもしている。
「琉球の今村(佳太)選手は新潟経営大のときにインカレで筑波大を相手に29得点を挙げてBリーグに行っているし、無名校出身の選手ってわりと多いんです。その中で僕って本当に、本当に無名だと思うんですよ。身体能力だけで岡山のGMの方の目に留まってプロの世界に引き込んでもらって、そこから成長させてもらえた身なので、自分をアピールしながらいろんな方に恩返しできるように頑張っていきたいです」
また、出身高校でピンときた方もいるかもしれないが、北越高といえば「第3の男たち現る」という記事に登場した、昨冬のウインターカップ出場校だ。佐藤は自身が立てなかった大舞台を見に行き、母校を応援。今在籍している横浜EXにも少し重ね合わせながら、後輩たちの姿に心を躍らせていた。
「最高身長が183センチの低いチームが、2メートルの選手がいる相手に走り勝つ。僕たちとちょっと似たようなバスケットをしていたので、見ていてすごく面白かったです。パズルのピースがはまっていくような楽しい感覚でした。僕が2年生のときからいる顧問の先生と監督に会えたのも、勝ちを届けてくれたのも嬉しかったですね」
ひたむきにバスケットに打ち込む純粋さや、無名の存在だったからこその向上心など、様々な要素が佐藤をB3最注目選手の地位に押し上げた。まだ大卒2年目の24歳が目指すべきステージはもっと高く、彼はそこにも類稀な跳躍力で手が届くような気がしてならない。
文 吉川哲彦
写真提供 横浜エクセレンス/Photo. Takami Naoki