「8年前、それまでの育成選手の立場ではなくレバンガのチームの一員になれたことがすごくうれしかったです。栃木のときはコールアップされて試合に出たり、またベンチから外れたりという状況でしたが、レバンガでは正式メンバーとしてずっとベンチに座ることができる。試合に出られなくても構わないと思っていました。試合に出られなくてもいいから、トップリーグのレバンガの一員としていろんなことを学びたいという気持ちでいっぱいでした。ラッキーなことにそれからしばらくして試合に絡ませてもらったり、道産子プレーヤーとして注目してもらえるようになって、メディアの対応とかコート内外のさまざまな面でプロ意識が芽生えていったように思います。
プロ選手の価値を考えることでプロとしての意識付けができたのはレバンガに入ったおかげです。結果が出せないシーズンが続いてもファンの皆さんは温かくて、時にかけられる厳しい言葉の中にさえ愛情を感じられて、この人たちのために勝ちたい、頑張りたいと思っていました。地域に根付いてどんな状況でもあきらめないでプレーしようという気持ちを育ててくれたのは間違いなくファンの皆さんであり、北海道に来たからこそ出会えたもの、得られたものだと思います。ありがたかったですね。ずっとありがたかった。感謝の気持ちはこれから先も消えることはないと思っています」
移籍先は「まず自分がゼロになってから考えよう」と決めていた。オフの間に行われる来季に向けての面談でチームを出る意思を伝えた多嶋は、移籍リストに載った自分に声をかけてくれたいくつかのクラブと話し合いを持つことになる。
「2番手、3番手でチームを支えてほしいというクラブもあれば、B1に上げるために来てほしいというB2のクラブ、メンバーが足りていないので来てほしいというB1のクラブとオファーの理由はいろいろでした。その中で唯一『うちのバスケットスタイルには君のプレーが必要だ』と言ってくれたのが茨城ロボッツだったんです。プロで数年やってきて、試合にも出ている選手だからほしいというのではなく、多嶋朝飛という選手が必要なんだと言われました。それがうれしかった。すごくうれしかった(笑)。33歳の自分が新しいスタートを切るのはここだと思いました」
新天地で目指す『これからの多嶋朝飛』(後編)決めたことを決してぶらさずシーズンを通して積み上げていきたい へ続く
文 松原貴実
写真 B.LEAGUE