竹内公輔が日本代表に選出されたのは慶應大学2年生のとき。チーム最年少の21歳で世界選手権(2006年)に出場し、以来様々な世界の舞台で経験を積み自分を磨いてきた。日本のバスケットボール界にとって『永遠の課題』と言われるリバウンドの仕事を担い、インサイドの柱としてコートに立つ姿は多くのバスケットファンの記憶に刻まれているはずだ。「豪快なブロックショットとかリバウンドとか僕の仕事には一見華やかなイメージがあるかもしれませんが実際は全然違う。さぼらずボックスアウトしたり、ポジション取りに身体を張ったり、やっていることはすごく地味なんです。それを地道にやり続けてきたという自負はあります」。竹内からその言葉を聞いたのは今から5年前。日本代表歴10年目となる30歳のときだった。あれから6年、ベテランの域に入った今も「ゴール下でやるべきことに変わりはない」と言い切る竹内にあらためて自分が担うリバウンドについて語ってもらった。
1対1で競り勝とうという考えは捨てました。
── まずリバウンドに関する竹内さんの歴史をお聞きしたいと思います。洛南高校に入学した当時からすでにリバウンドは自分の仕事だという意識を持ってコートに立っていたのですか?
そうですね。リバウンドはビッグマンの仕事というのがあたりまえだったので、誰に言われるまでもなくそういう意識はありました。ただ高校に入ったころ僕はものすごく細かったんですね。だからポジション取りでいつも先輩に負けていました。2年になったころからようやく体が少しできてきて、それでも足りない部分は身長でカバーして少しずつ(リバウンドに)貢献できるようになっていったという感じです。大学に入ってからは周りの選手がみんな小さかったんでリバウンドは全部自分が取ってやるという意識がありました。身長に加えてジャンプ力もそこそこあったんで多少ボックスアウトをさぼっても取れていたというか、たまに取られてしまっても文句を言われる筋合いはないと思ってやっていましたね(笑)。すぐにそれではあかんと気づいたんですけど。
── それはいつごろですか?
大学2年のときに初めて日本代表に選んでもらって世界の舞台を経験するようになってからですね。当時のメンバーの中では1番高さがあったのでリバウンドでの貢献を求められるのは当然のことでしたが、今思えば周りの先輩方が僕のマークマンをしっかりボックスアウトしてくれていたからこそ取れていたんだと思います。でも、世界の舞台ではしっかりボックスアウトしてポジションを取っても敵わない相手がいるわけです。今でも強烈に覚えているのは初めてカタールと対戦したときですね。まず手が長い。ジャンプのスピードが速い。自分より小さい相手がすごいジャンプ力でリバウンドをもぎ取るんですよ。日本でプレーしているだけでは味わえない凄さでした。
── これが世界なのかと?
そうですね。いろんな国とやってヨーロッパの選手はそこまで感じなかったんですけど、今言ったカタールとかアフリカの選手とかの身体能力は本当にすごいと思いました。でも、まあなんといっても一番ショック受けたのはNBAのサマーリーグ(2010年、ミネソタ・ティンバーウルブズの一員として参加)ですね。25歳で身体能力も全盛期のころだったんですが、周りの20歳前後の若い選手たちに歯が立ちませんでした。とにかくみんなめちゃくちゃ身体能力が高いんですよ。全然助走しないでバァーンとジャンプして、リングの上でリバウンドを争うみたいな。正直、こりゃ敵わないと思いました。さっきも言ったように自分の身体能力はそのころピークだったと思うんですけど、こんなにも差があるんだというのを身を持って知った気がします。世界を相手にして1対1で(リバウンドに)競り勝つのは厳しい。1人で競り勝とうという意識はそのとき捨てました。