スラムダンクをもう一度(前編)より続く
桜井良太が、チームをよりよくするためにと考え始めたのは、北海道に移籍してきてからだ。2007年に加入したレラカムイ北海道が経営的に立ち行かなくなり、折茂武彦が代表となってレバンガ北海道を立ち上げた。しかしすぐに経営の波に乗れたわけではない。むしろ今なお、潤沢な資金を保有するチームではない。そんなコートとは離れたチーム事情が桜井を変える契機になった。
「チームというのは運営するフロントがあって、その下にバスケットのチームがあるわけです。その二つが噛み合って、歯車がうまく回っていかないと、絶対に強いチームはできないと思っています。それはプロチームだけじゃなくて、企業が母体のチームであっても同じです。『あそこはお金もあって、選手もそろっているけど、うまくいかないね』という事例だってありますから」
選手の価値は彼らのプレーに対する対価、つまり年俸に反映される。しかし上記のとおり、レバンガ北海道はまだそれを多く支払えるところにない。それを認めつつ、桜井は選手の価値はけっしてそれだけではないとも考えている。
「チームのことをしっかり考えてプレーできるか。周りの状況を見て、自分が犠牲になったりできるか。もちろんある程度のプレーができるのは大前提です。これまで多くの選手とプレーをしてきましたが、時には個人が優先になってしまい、なかなかチームのためにプレーできない選手も過去にはいました。僕自身は元々、チームをまとめたり、協調性を持ってやるタイプではなかったんですけど、でも誰かがその役割をやらないと、チームとして前に進まないし、レバンガ北海道としての文化も生まれてこないと思ったんです」
桜井が、潤沢な資金を有するトヨタ自動車から移籍をしたのは、当時日本代表でありながら、思うようにプレータイムが伸びなかったからだ。それが恥ずかしかったと話す。「今となってはしょうもないことなんですけどね」と笑うが、当時の桜井は本気で、ならば自分がチームの中心になって勝たせるチームにしたいと意気込んで、津軽海峡を渡った。
そのチームが消滅し、いよいよ移籍せざるを得ないとなったとき、新たに立ち上がったレバンガ北海道に残ったのも、 “1つには” トヨタから移籍するときに自分の思いがあったからだ。初心に返ったのである。自分は何のために移籍したのか。ここでまた年俸を求めて資金のあるチームに移ったら、北海道に来た自分の思いさえも裏切ることになる。そう考えて、残留したのである。