昨年の天皇杯を制したサンロッカーズ渋谷は、チームとしてワンステップ階段を上った感があった。今シーズンは第20節を終えた2月7日現在、23勝11敗(勝率 .676)で東地区3位に付けるが、チームのアイデンティティが激しいディフェンスであることは変わらず、ディフェンスの精度を落とさないためメンバーチェンジを多用するスタイルにも変わりはない。その中で外国籍選手に代わってコートに出る野口大介は「たとえ短時間であっても全力で “ゲームをつなぐ” ことが自分の役割。やりがいのある仕事です」と胸を張る。ベテランと呼ばれる37歳。浮き沈みもあったキャリアを振り返り、 “仕事人” としての今を語るとき、「1番いきいきしている自分を感じます」と笑った。
『3ポイントも打てるビッグマン』への道
── 野口さんは北海道出身で子どものころはスキーをやっていらしたと聞きました。
はい、4歳ぐらいからやっていました。父親がスキーをやっていた影響なんですが、まずは家の庭に雪を貯めてプラスチックのスキー板で滑るところからスタート。スキー場に連れて行ってもらえるようになった小学校から本格的に始めました。
── 楽しかった?
楽しかったですね。夏の間もスキーのことを考えるほど夢中になって、自分でもまあまあいいセンいってるんじゃないかと思ってましたし(笑)。これは余談ですけど、後々進んだ日体大(日本体育大学)でスキー合宿があったとき、スキー部の先生から「野口、今からでもいいからスキー部に入ってオリンピックを目指そう」と言われました。もちろん冗談半分でしょうけど。
── でも、中学からはスキーではなくバスケットを始められたわけですよね。
これには経済的な問題がありまして。まず中学にはスキー部がなくて、続けるためには近くのスキー場のレーシングチームに入らなきゃならなかったんです。が、それには結構お金がかかる。うちはそれほど裕福ではなく、父親からはっきり「経済的に無理だ」と言われました。すごくショックでしたけど仕方ないとあきらめるしかなかったですね。ただ、何か身体を動かしたい気持ちはあって運動部に入りたいとは思っていました。当時180cmぐらいありましたから、野球部からも勧誘されたんですよ。ピッチャー候補とか、そんな感じだったと思います。
── でも、選んだのはバスケット部。
野球部の顧問の先生が苦手だったんですよ。すごくガタイがよくて、色付きのメガネをかけて、いつも竹刀を持ち歩いているような先生で。
── なんかのドラマに出ていた体育教師みたいですね。
そうそう(笑)。で、廊下ですれ違うたびにその先生が僕の肩をガッと抱いて、耳元で「おい、野球部はいいぞぉ」って言うんです。
── ちょっと怖い(笑)
ですよね(笑)。僕はそれが嫌で嫌で、逃げ込むようにバスケット部に入りました。