ルーキーシーズンを迎え変身した?マッスー
筑波大学3年次、4年次に特別指定選手として川崎ブレイブサンダースで活動した増田啓介は、大学を卒業した今年正式に契約を結び〝3年目のルーキーシーズン〞をスタートさせた。「バスケIQが高く、サイズのある3番ポジションとして期待しています。強い身体を生かしたディフェンスを含めのびしろは十分と言えますね」と、佐藤賢次ヘッドコーチ。その評価に応えるかのように、約30分のプレータイムを得た千葉ジェッツ戦(11月11日)では3ポイントシュート4本を含む23得点をマークして逆転勝利の立役者となった。
福岡大附大濠高校、筑波大の先輩でもある青木保憲はこう語る。「あいつはいい意味でも悪い意味でも感性が人と違う。普通の枠に収まらないというか、普段でも後輩感を出してほしいときに出さなくて、どうでもいいときに出してくる。なんでしょうね、予測不能(笑)。イメージとしては猫みたいなヤツです」。猫のような独特の感性…つまりはつかみどころがない男だということか。しかし、青木はその後にこう続ける。「その増田がですね、川崎に入ってから大きく変わったんですよ。バスケに対する姿勢とか、発言とか、もうほんとに180度変わったと言っても過言ではありません。多分、あいつは今までの自分の過程を見直しているんじゃないでしょうか。それによって一段も二段もステップアップしているなあと感じます」。自分をよく知る先輩のこの言葉を増田自身はどう受け止めるのだろう。そもそも『180度変わる前の増田』はどんな選手だったのだろうか。まずはその過程を振り返ってみたい。
「筑波大に入っても出番はないと思っていました」
静岡県出身。小学生からバスケットを始め、中学は隣町にある私立静岡大成中に進学。そこの1年先輩だった鳥羽陽介に誘われたことがきっかけで福岡大附大濠高校の進学を決めた。もちろん、福大大濠高のバスケット部は〝行きたいから入れる〞チームではない。「実はもう1つ声をかけてくれた高校がありました。すごく迷ったんですが、大濠は校舎とかとてもきれいだったし、バスケ部の練習も圧倒されるぐらい活気があって、見学に行った日にすぐここでバスケがやりたいと思いました」。当時のチームには青木保憲、杉浦佑成(島根スサノオマジック)、葛原大智(レバンガ北海道)など有力選手が揃い、「その3年生を中心に真剣にバスケットと向き合っているという感じで、自然と自分も頑張らなきゃという気持ちになるんですね」。
シュート練習は2人ペアになって行うのだが、増田が組んだ相手は杉浦。「杉浦さんはめっちゃシュートが入るんですよ。リバウンドを取る自分はほぼゴール下にいればいいからすごく楽。ところが僕のシュートは全然入らずあっちこっちに転がるからそのたびに杉浦さんはボールを追いかけて走らなきゃならない。僕がずっと先輩を走らせているわけで、さすがにこりゃまずいぞと思いました。それで同期の牧(隼利・琉球ゴールデンキングス)といっしょにシュート練習するようになって、そのおかげで少しずつ確率がアップしていったという感じです」