ハングリーな気持ちは、その後も森川を突き動かしていく。
森川は“脱サラBリーガー”だった。
愛知学泉大から豊田合成スコーピオンズ(現B3)に入社したが、Bリーグができるタイミングで退社している。
「今でも思い切った行動をしたなと思っているんです。豊田合成は素晴らしい企業で、将来的なことを考えても安定感はあったんです。それを辞めてでもBリーグに行くのはなかなかリスキーだと思ったんですけど、自分自身も後悔したくないし、自分のやりたいことを貫きたいという気持ちが強くて、Bリーグに挑戦しようって決めたんです」
身長191センチ。
それを使いこなす高い運動能力。
それらをハングリー精神でさらに磨き上げたとき、目の前の扉が開かれた。
三河に入れたのは、今も奇跡だと思っている。
本人としてはB2、もしくはB1でも経験の浅いチームから声がかかればいい。そう思っていたところに、思わぬビッグクラブから声がかかった。
同じ愛知県内のチームということもあって、三河は森川にチェックを入れていたのかもしれない。
森川はすぐに三河入りを決める。
チャンスをつかんだのである。
つかんだだけではない。
Bリーグでもトップクラスの三河に入団したことで、彼のハングリー精神はますます磨き上げられていった。
「同じポジションに比江島さんや金丸さん、川村さんがいたなかで日々彼らとマッチアップすることで得られるものがたくさんありました。練習ではピック&ロールの動きやオフボールの動きを少しでも自分のものにできるようにと盗んでいたし、試合ではベンチにいる時間のほうが長かったですけど、彼らが勝負所でどういうプレーを選択しているのか、どういうコミュニケーションを取っているのかはずっと見てきました。試合経験は少ないけど、三河にいた4年間で僕はたくさん成長できたなと感じているんです」
3人だけではない。
松井啓十郎(京都)、西川貴之(三遠ネオフェニックス)、岡田侑大(富山)。彼らもまた森川にとって最高の教材だった。
「一番贅沢な練習環境じゃなかったかと思います」
移籍した横浜はBリーグ元年から3年連続で残留プレーオフに進出している。
今シーズンも現時点(2020年10月26日)で2勝7敗、東地区の最下位に沈んでいる。
でも、だからこそチャレンジのし甲斐がある。
「僕は自分が活躍するために横浜に来たわけじゃないんです。横浜をいかにチャンピオンシップに導くかを目標にしています。チームを変えたい。そのうえで僕自身のスタッツを伸ばしていきたいんです。毎試合2桁を取りたいと思っていますし、横浜でも攻撃で起点になるプレーヤーになりたい。横浜には森川がいないとダメだなって思われる存在にならなければいけないと思っています」
雑草という草の名前はない。
どの草にも名前はあり、いずれも自分の好きな場所で懸命に生きている。
しぶとく、力強く、たくましく── 森川は雑草の魂で生き抜いていく。
文 三上太
写真 B.LEAGUE
画像 バスケットボールスピリッツ