今シーズン、城宝匡史が富山グラウジーズに移籍することが発表されると、富山ブースターたちがこぞって歓迎の意を表した。「おかえり、ジョー」「城宝さん、待ってたよ!」── bjリーグ時代の2011年からBリーグが開幕した2016年まで6シーズンにわたり富山でプレーした城宝はその間にbjリーグ日本人初のシーズンMVP(2013-14)、日本人初の通算6000得点達成(2015-16)など数々の記録と記憶に残る活躍で富山を牽引した。3年ぶりに古巣のユニフォームを着ることになった城宝に歓喜の声が挙がるのも無理ないことだろう。
北海道江別市出身。大麻高校卒業後、一気に西へ下って大阪商業大学に入学すると大学界の名将の1人と言われる島田三郎監督の下で鍛えられた。
「大学3年生になったときbjリーグが発足し、4年になって大阪エヴェッサがトライアウトでメンバーを募集していると聞いて受けてみることにしました。条件とか年俸とかほとんど考えてなかったですね。好きなバスケットを仕事にして食べていけるのならこんなにいいことはないと(笑)。それが2005年。僕のプロとしてのスタートでした」
翌シーズンに移籍した東京アパッチでは2年連続リーグ準優勝に貢献。2009年には滋賀レイクスターズに移り平均30分を超えるプレータイムでチームをプレーオフ進出に導いた。2011年から富山の顔となったのは先述のとおり。Bリーグ2年目となる2017年に新潟アルビレックスBBに移籍して1年、2018年からライジングゼファー福岡で2年、今シーズン富山に戻るまで15年間で6つのチームを渡り歩いたことになる。
「いやぁ、あらためて振り返るとすごいですよね(笑)。今年で16年目ですから。その間にはいろんなことがありましたけど、1番辛かったのは所属していたチームが潰れてしまったことでしょうか。東京アパッチに入って1年目、2年目には連続リーグ準優勝と結果も出していたんですが、やっぱりチームを維持していくためにはそれなりの費用がかかります。選手としてお金の苦労も味わいましたし、自分では特別秀でたものを持った選手ではないと思っていたので行く先の不安も感じました。そのとき自分のディフェンス力を買って声をかけてくれたのが滋賀の(ロバート)ピアスコーチです。思えば、自分のディフェンス力というのは大商大時代、島田監督から叩き込まれたものなんですね。そう考えると、これまで経験してきたいろんなことがつながって、つながったものに助けられて今の自分があるような気がします」
15年のキャリアの中には選手としての“ターニングポイント”もあったに違いない。それはどんな出来事だったのだろう。
「ターニングポイントですか?思い返せばいくつかありますが、直近では去年福岡でコーチペップ(ジョゼップ・クラロス・カナルス)に出会ったことです。ペップの影響を受けた者はバスケット界に何人もいると思いますが、その理由がよくわかりました。とにかくすべてのプレーが連動していて、尚かつ全力を求められるので休む暇がないんです。ペップのバスケットに触れたことで自分の意識がすべて変わりました。37歳にして変わったんです。これってすごいことですよね」