「京都では9シーズンも、お世話になりました。一度は優勝してオーナーやフロントのみんな、それにブースターさんやスポンサーさんに結果で恩返しがしたかった。それが申し訳なくて残念ですが、それ以上に心残りなのが……」
うつむき加減になり、一度そこで切った言葉を、顔を上げて再びつなげる。
「契約の関係などもあって京都を退団する際に、自分の言葉でお世話になった方々にメッセージをお伝えできなかったことなんです。2011年の震災後に、それまでHCをしていた仙台89ersのチームが解散になり、自分の進路に悩んでいたところ、当時のハンナリーズ社長やオーナーにお誘いをいただきました。あれから昨シーズン終了まで、オーナーにはどんなときも励ましの言葉やサポートをいただき、心から感謝をしています。それに僕は、京都で出会ったすべてのブースターさん、応援してくださる地域のみなさん、ボランティアさんたちの笑顔が見たい。その一心で仲間とともにチームを作り、戦ってきました。京都のブースターさんはすごく熱心に応援してくださり、毎回会場に足を運んでくださる方々、遠征にも応援に来てくださったみなさんの顔が今でも目に浮かびます。勝負の世界ですから、厳しい時期もありました。ですが、どんなときも温かく見守っていただいたことに、心から感謝を申し上げます」
そして真摯な表情から一変して、柔らかな笑顔でこう続けた。
「とはいっても京都のみなさんと、これでさよならだとは思っていません。バスケットボールの世界は、狭いですからね。それに奇遇にも、今季の富山の開幕戦はアウェイでの京都戦。京都時代をはじめ、これまでのプロコーチ経験で培ってきた、自分が大事にしているものを富山に加えていいチームを作り、いいゲームをお見せしたいと思っています」
浜口HCが大事にしているものとは……?
「コーチ、選手、スタッフが互いをプロと認めてリスペクトし合う。そういう関係です。HCひとりでチームを勝たせられるものではありませんし、ましてや僕も完璧ではありません。選手にも得手、不得手がある。それぞれにやれることは限られているかもしれませんが、全員で協力してひとつになれば、いいチームになれる。試合に勝ってよろこぶことももちろんですが、それ以上に全員でひとつのチームになって戦うことが大事。僕は、そう思っています」
指導を通じて選手個々にプレーヤーとしてのレベルアップに手を差し伸べるのと同じか、あるいはそれ以上に大切にするのは、彼らひとりひとりの人間形成の助けとなること。浜口HCが率いてきた京都は、フロントスタッフも含め、ほかのクラブと比較してもファミリー感が強く感じられた。その中心にいたのが、浜口HC。
富山への移籍を決めたのは、自分と同じく京都を離れることになった選手、スタッフの行き先が落ち着いてから。今でも以前にチームメイトだった者たちから頻繁に連絡があり、今回も京都を退団することが決まると、行き先を案じた選手たちから多くの連絡が寄せられた。
関わった者はみな、厚い信頼を寄せる。浜口炎とは、そういう人物。グラウジーズが培ってきたカルチャーに、浜口HCという新たな要素が加わり、どのような化学反応を起こすのか。強豪揃いの東地区で、富山が台風の目のような存在になる可能性は、充分にある。
文 カワサキマサシ
写真 富山グラウジーズ、B.LEAGUE