「本当は昨シーズン限りで、引退するつもりだったんです」
綿貫瞬はこのオフにB1の京都ハンナリーズから、B2のアースフレンズ東京Zに移籍した。そこへと至るまでの、だれにも話さなかった心の動きを、そう静かに吐露する。
「いつごろからだろう……。なんのために、バスケットボールをしているのか。自分のバスケットボールに向かうモチベーションが、わからなくなったんです。それまではB1で優勝を目指す、無名の選手だった僕がB1で通用することを証明する。そういう、明確な目標がありました。だけどいつからか、自分のなかでその気持ちが薄れていることを、感じてしまっていたんです」
もう、選手としてはコートを離れよう。そう決意し、実際にオフの間にセカンドキャリアに向けて動き始め、次の道が決まる寸前にあった。そんな矢先に新型コロナがさらに猛威を振るい、社会全体が混乱に陥る。綿貫のセカンドキャリアに関する動きも急停止を余儀なくされ、再び話が前進するかは、まったく見通しが立たなくなった。
「ふいにいろんなことが止まってしまって、考える時間ができた。引退する気持ちも持ち続けていましたが、世の中が止まっているあいだに自分と向き合っていると、『バスケをやらなくて、いいのか』と言っている自分もいたんです」
一時はほぼ消滅しようとしていた、心のなかにあるプレーヤーとしての情熱の炎。しかしそれは完全には消えておらず、くすぶって残っていたのだ。
「あの時期に、自分のキャリアを振り返ってみたんです。小、中学校はそれまで1回戦負けするようなチームだったけど、勝たせられるようになった。高校も普通の県立で強豪校ではなかったでしたが、3年生のときに僕がキャプテンでウインターカップに初出場。神奈川大学も僕が入ったころは3部とかだったけど、最終学年で2部に上げられた。ずっと弱いチームを勝たせることを、してきたんだなぁって。そこで、あらためて気付いたんです。自分の心のどこかに、また未完成のチームを引き上げたい気持ちがあることに」
それは、突然に湧いて出たものではない。京都でプレーしていた一昨季ごろから、そのような思いを持つようになっていたと言う。
「京都時代に片岡(大晴/現仙台89ers)選手と、『B2のチームを、B1に上げる仕事がしたいよな』って話し合ったことがあったんです。そのころから、意識するようになりました。だけど今回は本気で引退するつもりだったし、新型コロナの騒ぎが大きくなっていなければ、そうなっていたと思う。セカンドキャリアの動きが止まって、もう一度考える時間ができたときに、引退するのかまだ続けるのか。繰り返し繰り返し、何度も考えました。答えが出なくて、まるで迷路に迷い込んだようでした」
考えに考え、苦悩したあの時間を思い出し、彼は少し顔を歪める。物事を考えすぎてしまう性格であることは、自分自身がよく知っている。
「それもあって、僕の好きな言葉は『適当』なんです」
思慮深く考えず行動するというような、どちらかといえばネガティヴなニュアンスで受け止められがちな言葉。しかし、彼の真意はこうだ。
「考えすぎると深みにハマってしまうので、適当にやるくらいがちょうどいい。そう思っていました」
「でも──」と言って、言葉を続ける。