── では、その伝説の男、狩野さんからお聞きします。東海大時代もシューターとして活躍されましたが、ご自分がシューターであると意識されたのはいつごろですか?
狩野 やっぱり(福岡)第一高校に入ってからですね。先輩の並里さん(成・琉球ゴールデンキングス)が1番ポジションをやっていたので、そっから自分は2番になってシューターというのを意識するようになりました。第一高校は速攻のチームでしたが、ブレイクしてレイアップというより自分は3ポイントシュートを打つ方が好きだったんですね。井手口(孝監督)先生もそこは信頼してくださっていたのか、どれだけ打っても怒られることはなかったです。
── やはりシュート練習も人一倍したのですか?
狩野 高校、大学のときはそれほどでもなくて、1日300本ぐらいかな。1番シュート練習をしたのは小学校のときなんですよ。小学校のころは毎日1000本以上打ってました。
佐藤 小学生で1000本ってめっちゃ多くないですか?
狩野 終わると、いつも腕が上がらなくなった(笑)
── なんとストイックな小学生!その練習が今生きていると感じることはありますか?
狩野 ありますよ。あれだけシュート練習してきたんだから落とすわけがないっていう自信につながっていると思います。まあ、入らないときは入らないですけど(笑)。そこからまた(気持ちを)切り替えて打ちます。
佐藤 祐介さんはメンタル強いですからねぇ。
── 佐藤さんはサイズとスピードがある3番プレーヤーとして注目されていますが、今のポジションをやるようになったのは?
佐藤 高校(東海大四高)のときに先生から「将来的におまえは3番を目指した方がいい」と言われていて、当時からきっちりしたセンターではなくて、わりとなんでもやらせてもらっていました。大学に入ってからもリクさん(陸川章監督)にOBの古川さん(孝敏・秋田ノーザンハピネッツ)みたいなウイングになってほしいと言われたんですが、チーム事情というか、チームのバランス的に4番でやることが多かったです。3番をやり始めたのは3年生でユニバ(ユニバーシアード大会)とか李相佰の代表に選ばれてからですね。そこから徐々にチーム(東海大)でも3番の動きをやるようになって。だから自分の中にはあまり『コンバート』という意識はないんですよ。ただ、そのころから自分は3番の方が向いてるなあとは思っていました。