part1「大学から始まったポイントガード修業」より続く
カナダでゼロからのスタート
安藤誓哉がカナダでプレーするきっかけとなったのは、大学3年の夏、塚本清彦コーチに勧められて参加したアメリカでのトレーニングだった。「2週間ぐらい滞在したんですが、そこにはいろんなプロ選手が集まって来ていてすごく刺激を受けました。ああ自分もプロになりたいなあと思ったのはそのときです」。帰国後しばらくすると、今度はプロとアマが参加するドリューリーグに参加できる機会を得る。4試合に出場した安藤のプレータイムは限られたものだったが、最後の試合(4分出場して7得点をマーク)を見たカナダのハリファックス・レインメンから声がかかった。「よければうちのチームでプレーしてみないか?」 ── 21歳の安藤の前に突然出現したプロ選手への道だった。しかし、日本ではまだ1年大学生活が残っている。李相佰盃のキャプテンにもなった安藤はまぎれもなく大学バスケット界をリードする存在であり、前年インカレ準優勝となった明治大は安藤を柱としたチームで『今年こそ日本一』という目標を掲げていた。ポイントガードとして育ててくれた塚本コーチやともに切磋琢磨してきたチームメイトたち、「もちろんいろんな葛藤はありました」。が、勝ったのはこのチャンスを逃したくはない、海の向こうのプロチームで自分の力を試してみたいという強い思いだ。覚悟を決めバスケット部を退部した安藤は時を置かず単身カナダに旅立った。
「まさにゼロからのスタートでした」 ── 英語も満足に話せず、チーム状況、生活環境もよくわからないまま始まったカナダの暮らしを安藤はそう振り返る。迎えてくれたレインメンの当時のヘッドコーチは後に秋田ノーザンハピネッツのコーチとして日本のファンにも知られることになるジョゼップ・クラロス・カナルス(通称ペップ)。選手はチームが借り上げている同じマンションに住み、チームのバンに乗り合わせて体育館に向かう。練習は1時間半~2時間で午前中のみだったが「ペップコーチらしくギュッと中身が詰まったとても濃い練習でした」。不安だった言葉の壁は「ノリで乗り切った」と笑う。「チームメイトが話す英語は僕たちが学校で習ってきた英語とは違うんです。もっとブロークンっていうか、日本の若い子たちがよくわかんない言葉を使うじゃないですか。あんな感じですね。僕は仲良くなった黒人選手とよくしゃべっていましたが、彼が何言ってるのかよくわからない。けど、何を伝えたいのかはわかるみたいな。一緒にゲームをしに行ったり、ご飯を食べに行ったり、言葉よりもノリですね(笑)。みんなといるのは楽しかったしよく笑いました」。
肝心のバスケットはというと、安藤のシュート力と試合の遂行力を評価したペップコーチがいきなりスタメンに起用。全試合にスタメン出場し、平均10.2得点、3.9アシストでファイナル進出に貢献すると、2014-2015シーズンのオールルーキーチームにも選出された。「カナダのゲームはランが激しくていつも100点ゲームになるんです。どの選手も高いスキルを持っていて毎試合必死に戦うという感じでした。そういう中で揉まれるのは初めての体験。大変だったのは間違いないけど、今だから『大変だった』と思うのであって、あのときは無我夢中で大変だと思う余裕もなかったです。選手としてステップアップしたい、ステップアップしたいと、ただそれだけを考えていました。自分にとってあの1年間は本当に大きかったと思います」