アルバルク東京 #3 安藤誓哉

描き続ける未来図 part2

エージェントを通じて「フィリピンのチームからオファーがある」と聞いたのは、カナダでの1年を終えようとしていた時期だった。「プレーオフに入ったあたりにエージェントから『フィリピンのPBAにアジア人枠ができるから行ってみないか』というメールが来たんです。詳しいことは何もわからないけど、おもしろそうだから行ってみようと思いました。でも、一応考える時間が欲しいから一度日本に帰るつもりだと伝えたんですね。そしたら『日本に帰ってもすぐフィリピンに行くことになるから準備しといてね』と返信が来て、『すぐ行くことになるから準備しといてね』と言われたって、行けばすぐ採用されるのか、僕のほかにも候補選手がいるのかわからないじゃないですか。意味不明のまま帰国して、家族にこのまますぐフィリピンに行くかもしれないと言ったら、やっぱり『何を言ってるのかわからない』と言われました(笑)

それでもエージェントを信じてフィリピンに飛んだ安藤はオファーをくれたメラルコボルツから「リーグはすでに2試合消化しているから次の3試合目から出てほしい」と告げられる。「次の試合は2日後なんですよ。とりあえずフォーメーションだけは覚えといてねと言われて、急いで試合のビデオを見て、本当に最初からめまぐるしいというかドタバタというか(笑)」。が、約束どおり2日後の試合から出場した安藤は以後スタメンに抜擢され、チームのプレーオフ進出に一役買うことになる。フィリピンに滞在したのは約3ヶ月と短かったが、毎試合これでもかと激しくぶつかり合うコートの中で怯まない逞しさが身についたように思う。「実に濃い3ヶ月でしたね。フィリピンにいると知らない間に自分もハイテンションになる(笑)。僕は今も陽気なフィリピンの人たちが大好きです」。

21歳で海を渡った安藤は“大変と思う余裕もないほど大変な毎日”を送りながらバスケットと向き合ってきた。「あの時間は、言葉にできないような自信を自分に与えてくれたと思います」と言う。『言葉にできないような自信』 ── それはプロのバスケット選手として生きていけるという自信ですか?と問うと、「そうですね」と答え、しばらく考えてからこう続けた。「あえて言葉にするなら“人間力”がついたという自信です。自分が得た大きなものは、バスケット選手として生きていく人間力だったと思います

part3「自分の仕事はチームのモーターになること」へ続く

文 松原貴実
写真 安井麻実

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