「僕はパナソニックで多くのことを学びました。でも一番学んだのは“心”です。当時のキャプテンだった永山(誠)さんは僕が一番尊敬する選手であり、キャプテンであり、ああいう人になりたいと心から思いました。それはプレーだけじゃなくて、心遣い……心は見えないけど、心遣いは見えると言いますが、本当にそういうところを学んだんです」
試合だけでなく、練習中でも何か気にいらないことがあればすぐに表情に出し、態度に出し、ときにはプレーをやめることもあった。そんな小林を永山は叱り飛ばすことなく、そっと近づいてきて「今のはこうしたほうがいいんじゃないか?」とアドバイスをくれた。コーチに叱られれば「お前はまだ若いんだから仕方がない。切り替えてやれ」と声を掛けてくれた。そうした心遣いに何度救われたことか。永山だけではない。現・千葉ジェッツのヘッドコーチ、大野篤史にもバスケットに向かう姿勢や、チームがよりよくなる方法を学んだ。
「今はそうしたことに気づけます。当時は全然気づきませんでした。一生懸命ムカついて、腹を立てて、ベンチを蹴ったりとか、ボトルを投げたり……そんなしょうもないことをしていましたね。今の若い子たちを見ていて、たまにそういう選手がいると、能力があるのにもったいないなって思います。そういうところをうまく誘導できるようなメンタリティーをあのときに学んだかな」
熊本で6年連続キャプテンを務め、そのなかで探り当てた「練習ではのびのびとプレーをさせて、そのなかでチームとして最善の道を見つける」という考え方も、元をたどればパナソニック時代に行きつく。
「永山さんや大野さんがいなければ今の僕はいないと思います」
何の衒いもなく、小林はそう振り返る。
「あのときのパナソニックはスーパースターがたくさんいたんです。先日引退された木下(博之)さんがいて、青野(文彦)さんもいました。1つ下には渡邉(裕規。宇都宮ブレックス)がいて、金丸(晃輔。シーホース三河)がいて、根來(新之助。シーホース三河)、広瀬(健太。サンロッカーズ渋谷)もいました。そんなスーパースターがたくさんいて、そのなかでチームとして和を成していく。個だけでは勝てないことをあのとき学ばせてもらいました。最後の最後、廃部が決まった直後の天皇杯で優勝するんですけど、それまでは個の力は高いけど本当のチームになれていなくて、リーグでも2位止まりでした。でもこれが最後、チームがなくなるといったときにみんなが本当にチームのためを思って、犠牲になることも厭わずプレーした結果があの日本一だったんです。それは大きく学ばせてもらいました。あのときがなかったら、今の僕はないでしょうね」
小林が、のちに“ミスター・ヴォルターズ”と呼ばれるまでに変われたのは、そうした人たちがいたからだ。まさに「人様のおかげ」である。
そしてもうひとつ、重大な出来事が小林をさらに一回り大きな人間へと変えていくことになる。
part3へ続く
文・写真 三上太