今シーズンから川崎ブレイブサンダースでプレーすることになった大塚裕土は今年32歳。東海大学卒業後、当時リンク栃木ブレックスの下部チームだったTGI D-RISEに2年間所属し、bjリーグのドラフト1巡目に指名された宮崎シャイニングサンズで2年間プレー、同じくbjリーグの秋田ノーザンハピネッツ(現B1リーグ)でプレーした3年を経て、Bリーグ発足とともにサンロッカーズ渋谷へ移籍、1年後に移った富山グラウジーズでは主力として2年間活躍した。今年プロ選手として10年目となるキャリアの中で5回を数える移籍回数はたしかに目を引く。そんな大塚を指して「ジャーニーマン」、「苦労人」などと呼ぶ声もあるが、「僕はそのとき、そのときに自分が良いと思える選択をしてきただけで…」と、本人は気に留めるふうもない。そこでもう一度目をこらし移籍の道のりを辿ってみた。見えてきたのは1本の矢印。大塚の10年を示すそれは緩やかな曲線を描きながら上へ上へと向かっていた。
「僕にはBチームのキャプテンはできません」
この秋、生まれ故郷の北海道名寄市から『栄誉賞』を授与された。4年前、名寄市の観光大使に就任した大塚はこれまでも帰省するたびにミニバスチームの子どもたちや地元市民とバスケットを通して交流を図ってきたが、その活動に加え昨年BリーグオールスターでMVPを獲得したことが評価され今回の受賞に至ったという。
── 『栄誉賞』の受賞おめでとうございます。故郷から表彰されるのはとても名誉なことだと思います。大塚さんが育った名寄というのはどんな町なんですか?
北海道北部の名寄盆地にある小さな市です。盆地だから冬は底冷えしてすごく寒いんですよ。雪も多くて冬になると子どもたちはほとんどスキーやスノボーをやっていますね。僕もその1人でした。
── バスケットを始めたのは?
小学4年生のときです。1、2年のときは少年団みたいなところでサッカーをやっていたんですが、すごくうまい転校生が入ってきて、こりゃダメだと思って辞めました。
── こんなうまいやつが入ったらレギュラーになれないと、小学2年生ながらに思ったわけですね。こりゃダメだと。
はい(笑)。で、そのあと野球をやったんですけど、全然試合に出られなくて。だいたいうちの方は冬になると雪で校庭が使えないんですよ。それでスキーをやることも考えたんですけど、1つ上の従弟がバスケをやってて、コーチが母の職場の人だったこともありバスケ部に誘われたんです。自分ではスキーの方に気持ちが傾いてたんですが、気が付いたらバスケ部に入ることになってて。それが小4のときです。