part1より続く
フランチャイズプレーヤーとは何を持ってそう呼ぶのか。長年そのチームに在籍し、名実ともにチームの“顔”であることがその定義であるのなら、アーリーエントリーを含めても4シーズン目の安藤周人をそう呼んでいいのか。まだまだ若すぎるのではないか。そんな声もあるかもしれない。
しかも取材当日、安藤がインテンシティ株式会社(以下、インテンシティ)とマネジメント契約を締結したという発表もあった。インテンシティは馬場雄大(テキサス・レジェンズ)や安藤誓哉(アルバルク東京)とも同様の契約を結んでおり、「安藤も海外挑戦か?」と思わずにはいられなかった。
しかし本人はそれをあっさりと否定する。
「それはありませんよ。よりバスケットに専念するためにもよりよいサポートがほしいなと考えていたところに、困ったことがあればサポートしますよと言っていただけたので、お願いすることにしたんです」
名古屋ダイヤモンドドルフィンズのファンも一安心だろう。
安藤の地元・三重県四日市は名古屋から近鉄で30分ほどの距離にある。安藤にとって、名古屋は“準地元”と言ってもいい。東京近郊で4年間を過ごした安藤としては人が多すぎず、しかしある程度栄えている名古屋の街が一番好きなのだと言う。
さらに安藤の言葉は続く。
「僕はできれば同じチームでやりたいと思っています。よく周りからも言われるんです、移籍しないの? って。でも決めるのは僕自身だし、周りが何と言おうが、どんな意見が出ようがあまり気にすることはありません。やはり僕のなかで呼んでくれたチームは名古屋Dだけだと思っているので、その恩返しをしたいんです。せっかく呼んでくれたので何か……優勝は天皇杯で2回あるのかな、でもリーグ優勝は一度もないので、僕がいる間にそれを達成したい。その気持ちは今も曲げていないですね」
名古屋Dはその前身である三菱電機時代 ── 「ダイヤモンドドルフィンズ」はなおのこと、「メルコドルフィンズ」の名前さえついていない1990年、1991年に天皇杯を制している。しかしそれ以降、リーグを含めて日本の頂点には立っていない。