石井が入る前年のインカレで初優勝した東海大には、4年生に竹内譲次(アルバルク東京)、石崎巧(琉球ゴールデンキングス)、内海慎吾(京都ハンナリーズ)といったゴールデン世代の選手が揃い、「1つ上には西村文男さん(千葉ジェッツ)、同期には古川孝敏(秋田ノーザンハピネッツ)と、実力のある選手ばかり。全員がプロを目指しているような環境だから、それぞれの意識もめちゃくちゃ高いんです」。中でも苦労したのはディフェンスだ。八千代高校時代にやってきたのは『点を取られたら取り返せ』というオフェンスに重きを置いたバスケット。ディフェンスはゾーンを主体としていたためマンツーマンの基礎ができていなかった。ディフェンスのチームと言われる東海大ではディフェンス力のない選手はコートに立てない。石井も例外ではなく1年生の途中でBチームに落とされる屈辱も味わった。それを乗り越えられたのは持ち前の強いメンタルだ。
「もちろん悔しかったですけど、自分の実力を思えば仕方がない。必死に頑張ってディフェンスのレベルを上げる。自分がやるべきことを考えたら下を向く暇なんかありませんでした」
4年生になると、ようやくレギュラーの1人として出番が回ってくるようになるが、「卒業後は上のステージに行きたい」という願望は叶わず、関東実業団リーグの富士通に入社し、会社員として働きながらバスケットを続ける道を選んだ。配属されたのは営業部。「よく営業のタイプじゃないんじゃない?って言われるんですけど、周りの人にも恵まれて自分では結構楽しく仕事してました(笑)。コミュニケーションを取るという意味でも営業の仕事はすごく勉強になったと思います。環境も良くて、本当にいい職場でした」。ならば、どうしてその職場を去ろうと思ったのか?周囲の反対はなかったのか?
「反対というか、心配してくれる人はたくさんいました。せっかく富士通という大企業に入って何の問題もなく働いているのにどうして?というのはよく言われたことです。だけど、勤めて3年が経ち改めて自分の将来を考えるようになったとき、もっとバスケットをやりたいと思ったんです。プロとしてバスケットをやりたいという気持ちがどんどん膨らんでいきました。リーグが新しくNBLになりトライアウトが実施されるのを知ったのはちょうどそのころ。bjリーグにいた千葉ジェッツも(NBLに)参画すると聞いて心が動きました。地元のチームでプレーできるチャンスかもしれない、挑戦するのは今しかないって」。
もちろんトライアウトに合格する保証はどこにもない。「それでダメなら自分はそこまでの選手だということ。リスクとかギャンブルとか言われる前に覚悟は決めていました。自分が行きたい道が見つかったのなら行くしかないと、頭にあったのはそれだけです」。それが人生を変えた2つ目の分岐点。トライアウトを経て千葉ジェッツの『練習生』となった石井は2013-2014シーズンからプロ選手としての一歩を踏み出す。「自分がやろうと決めたことは最後までやり通す」───後ろは振り向かないと決めた25歳の出発だった。
part2「貪欲にゴールを狙うガムシャラな自分を出していきたい」へ続く
文 松原貴実
写真 安井麻実