※本記事はバスケットボールスピリッツのWEB化に伴う、2017年10月末発行vol.14からの転載
インタビュースペースにやって来たランデン・ルーカスは、まだ顔にあどけなさが残る若者だった。
208センチ、109キロ。NCAAのディヴィジョン1に属するカンザス大を卒業したばかりのセンターがアルバルク東京に入団する。しかもNBAのサマーリーグにも参加したと聞けば、アルバルクファンならずとも、周囲はそれだけでざわめき始める。
さらに、である。
彼の父、リチャードがBリーグの前身ともいうべき日本リーグのジャパンエナジーでプレイしていたこともあり、ランデンは生後13日で初来日。その後一旦帰国するが、11歳のときに再来日を果たしている。つまり今回の来日は彼にとって三度目の日本ということになる。そんな経歴もあって「できれば日本代表として2020年の東京オリンピックに出たい」と、帰化する準備があると示唆したことから、日本のファンの期待はさらに大きく膨らんだ。
しかしルーカスは、チームメイトであるジャワッド・ウィリアムズや、2歳上のアレックス・カークに比べても若干の見劣りが否めない。対戦相手の外国人選手たちと比較すればなおさらである。高さで大きく引けを取ることはないが、うまさや駆け引きといったところではまだまだ“若造”扱いされてしまうのだ。
彼自身も自分の理想像──オールラウンドにすべてをこなせて、攻守においてチームの勝利に貢献する選手になること──に対する現状を「50%くらいかな」と認める。
「なぜならまだプロになって1年目だし、まずはチームが勝てるパフォーマンスをしたいと思っている。でもまだそれを証明できていないからね。もちろんまだ開幕して2試合しか戦っていないけど、ボクとしてはなるべく早くそこに辿り着きたい。ジャワッドやアレックスは長年プロとしてプレーしているから、今は彼らからいろんなことを学んでいるところだよ」
“For the team”を学んだ日本のミニバスケット時代
今年7月、ボストン・セルティックスのメンバーとしてNBAのサマーリーグに出場したルーカスだが、なぜ日本のBリーグだったのか? むろんセルティックスと契約に至らなかったこともあるのだろうが、それでもなぜ日本だったのか。ヨーロッパなど目指すべき道は他にもあったはずだ。
そこには2つの理由があるとルーカスは言う。
1つは前記のとおり、2020年の東京オリンピックに日本代表選手として出たいという思い。そのためには日本国籍を取得──いわゆる帰化──しなければならず、実際にそうなるためにはさまざまなプロセスを経なければいけないが、少なくとも彼自身にもその選択肢はあるのだ。
もう1つはBリーグの存在だった。「Bリーグが今、とても活気づいているので、その瞬間にプレーしたかったんだ。アメリカにいるときからNBLとbjリーグが1つになってBリーグが誕生したことはボクの耳にも入っていたよ。父さんが過去に日本でプレーしていたこともあったからね。それで情報をフォローするようになったら、日本バスケットボール協会やファンのサポートも強いことを知って、ますます興味深く追うようになったんだ」
そんなときにアルバルク東京からのオファーがあり、ルーカスはそれに応じたわけである。
また、これも前記のとおり、ルーカスは過去に2度、日本で過ごした経緯がある。特に2度目の来日時に過ごした福井では“プレーヤー”としての原点になることを学んだ。彼が所属したのは、石崎巧(琉球ゴールデンキングス)を輩出した啓蒙ミニバスケットボールスポーツ少年団である。
「そこではとにかくチームの結束力、チームのためにプレーすることを教えられたよ。そこが今の自分の中の根っこになっているのは間違いない。だから今も“For the team”という意識でプレーしているんだ」