part2から続く
「やさしいアツさん」が「頼もしいアツさん」に変わるとき
初めて日本代表候補になった大学時代から8年を経て、太田が再び代表チームに召集されたのは2011年のことだ。島根スサノオマジックに所属していた石崎巧(現琉球ゴールデンキングス)に次いでbjリーグから選ばれた2人目の日本代表として話題を呼んだが、石崎の場合は『日本代表選手が島根に入団した』という経緯が正しく、真の意味でbjリーグが輩出した初めての代表メンバーは太田だったと言えるだろう。背負った日の丸には“bjリーグ代表”の重さもあった。「やっぱり最初の合宿は緊張しました。自分が1番下手くそに思えて、毎日の練習は必死でした。まあ必死なのは34歳の今も同じですが(笑)」
もともと自己評価が高い方ではない。たとえば、同い年で、同じ2m台の竹内公輔や竹内譲次は「スキルとかセンスとか、いわゆるバスケットの巧さは間違いなく自分より上」と言ってはばからない。それでは自分のストロングポイントは何か?なにを買われて代表に呼ばれていると考えているのか?
「自分で自分の長所を言うのはなんかすごく恥ずかしいんですが、もし評価されている点があるとしたら、ぶつかり合いを恐れず身体を張るとか、まじめにスクリーンをかけるとか、ディフェンスでは1対1だけじゃなくて、周りに目を配ってカバーに入ったりする、いわゆるチームディフェンスの部分とか、まあ、そういったところだと思います」
答えたあと、照れ隠しのようにあわてて付け足す。「柔道をやってたせいでぶつかり合いには慣れてるんですよ。っていうか、身体接触はむしろ好きなんです」。そういえば以前取材したロバート・サクレ(サンロッカーズ渋谷)が『印象に残っている日本のビッグマン』として真っ先に太田の名前を挙げていたのを思い出す。「彼は激しいゴール下の攻防にも怯まないし、やるべきことをまじめにやり続ける選手だ」というサクレのことばを伝えると、「ほんとですかあ」と、太田の声が弾んだ。「それはうれしいなあ。対戦する外国籍選手にそう言ってもらえるなんてマジうれしいなあ。自己評価が低い分、褒めてもらうとめっちゃうれしくなる(笑)」
その太田が自分が褒められたのと同じぐらい声を弾ませたのは日本代表チームに途中から加わったニック・ファジーカス、渡邉雄太、八村塁の3人について語ったときだ。
「皆さんがご存知のとおり、ワールドカップ予選は4連敗という最悪のスタートとなって、崖っぷちというより、すでに片足が崖から落ちてるような状態だったんですが、そこにニックとナベちゃんと塁が来て、すごくいい流れを作ってくれました。あいつらがチームの核になってくれたことでチームがガラッと変わったんですね。それまでは仕事ができるヤツは揃っていても核になる存在がなかった。核ができたことでいい流れができて、周りはその流れに乗っかればよかったんです。乗っかることでそれぞれの持ち味も出て、チーム力が一気にアップしました。チームにとって1番欠けていたもの、1番足りなかったものをあいつらが持ってきてくれたんですね。年齢とかは全然関係ない。3人ともほんとにすごい選手です。練習していてもめちゃくちゃ楽しかったし、まさに日本一丸という雰囲気でした」